Travis Japan、そしてTravis Japanのオタクの皆様!全国ツアー完走お疲れ様でした✨
というわけで遂に書きますよ。rolling days(以下ロリデ)解釈ブログ。この曲に触れずに死ぬわけにはいかないので。そりゃあもう心血削ってでも書きますよ。えぇ。
尚完全に個人の解釈なので解釈不一致に関してはご容赦ください。
本人達の口から「看守と囚人である」という発言があった以上、あんな崇高で高貴な看守いねーよ!と思いつつ仰せのままに認識していきたいと思います。
2人の関係性は(多分結構地位の高い)看守とその看守に監視、管理されている囚人。
イントロ前、扉が開く音と足音は看守のもの。というより、看守に歩み寄る「不実」の足音でしょうか。恐らく誰よりも誠実に気高く生きてきたであろう看守がこれから囚人と共に犯す罪が歩み寄ってくる音だと認識しました。MCのわっちゃわちゃぐっちゃぐちゃの空気が一瞬でふっと変わるあの感じ、たまらん。
そしてバックスクリーンで混ざり合う赤と黒と香りをイメージさせるような白を浴びる看守の影。恐らく看守と囚人の出逢い。Aメロ頭の歌詞「ゆらめくような香り近づく」を彷彿とさせる照明だなーーと勝手に思いました。
まずはAメロ。『止まらない想いで』
看守から「君=囚人」への執着、許されざる愛情。真っ直ぐな愛情。決して認められることのない罪の愛であると分かっているにも関わらず想いを止めることができない看守。
Aメロは全体的に如恵留さんの恍惚とした表情が印象的でした。囚人と対立しているという仮定も考えてみたのですが、どちらかと言うと恋焦がれているというか、頭から離れない人がいるんだろうなと思わされる表情だったんじゃないかな、と。(知らんけど)(知らんけどってつければ許されると思ってる)
そしてサビ。『どこまでも深い場所まで2人堕ちてゆけるなら』
看守が地位や名誉を捨ててでも囚人と共に生きたいと思う「純粋な愛情」を貫く覚悟をする。
サビが始まると同時に如恵留さんが棒で地を突くと照明が切り替わりステージが真っ赤になるのがその決意の瞬間。「優しく包み込むから」の一瞬の柔らかい表情以外は、Aメロより凛々しいというか何か野望を感じた印象でした。
さらにラップ。
囚人を縛り付けていた鎖は、看守からの愛情への戸惑いや迷い。囚人自身も看守を想っているが、2人を阻む弊害に縛られている囚人。
サビ終わりに如恵留さんが手を振りあげると鎖に縛られた宮近くんが現れたのでとてもびっくりしました…(小並感)
私の解釈(比較的ハピエン)では倫理観に縛られている囚人と解釈したけれど、看守の束縛の鎖でそれを断ち切って対立する2人でも楽しいですね…(誰かそういう解釈の人いませんかー?)
…っと話を戻します。
そんなこんなで「囚人もまた看守のことを愛しているが、罪を犯させたくないと思っている」ため、自分の想いに蓋をしようとしていた囚人。しかし看守が自分の想いに正直になる覚悟を決めたことを知り、囚人もまたその鎖を断ち切り共に罪を犯す覚悟を決める。長くは続かないと分かっていても泡沫の逢瀬に溺れる2人。
さあ虚妄の加速がいよいよ止まらなくなってまいりましたが果たして読んでくださっている方はついて来れているんでしょうか。
先述の通り宮近くんは鎖に縛られて登場しその鎖を断ち切るわけです。それは如恵留さんが棒をついて決意を表した時のように、宮近くんもまた決意の表れの表現だったのではないか、と思いました。その先、配信では恐らくスクリーンが映っていなかったんですが、「香りだけ漂う想いまだ彷徨う」のところは赤と白が混ざりあっているんですね…ここの2人は激しい感情というより終わりを見据えているにもかかわらず離れられない2人、というか…なんですか?(諦めないで)とにかく如恵留さんが比較的1番柔らかい表情を見せていたのはここだったような気がします。
「もう闇の中へ逃げよう〜」
分かっていたこととはいえ、看守と囚人の関係は本来あってはならないもの。2人の時間は長くは続かず引き離されてしまう。そんな2人はいかなる手段を使ってでも共に生きる未来を選ぶ。(ロミジュリ?)
ここからはステージが動いて1つのステージにいた2人が引き離されてしまいます。思いが通じ合い、共に生きる覚悟をしたにも関わらず引き離される2人。
と、ここで宮近くんが登場して以来着け続けていた目隠しを外します。そして一言「もう離れなくていいんですよ」…え、これを駆け落ちと言わずしてなんと言うんですか?くらいの気持ち…なんですが…(妄想です)
ただここから2人の行動や表情は険しくなっていきます。障害を乗り越えることに対して重きを置きすぎて愛がすれ違う的なあれ(どれ)を彷彿とさせる感じ…(妄想です)
さあ遂にラスサビ。
愛しているが故に二度と手放したくないと囚人を支配し束縛する看守。しかし自分への愛情に不安を覚えるようになってしまった囚人は、精神状態が不安定になり見境なく人を殺めようとする。(囚人になった経緯も殺人だったら尚良)
しかしこれ以上罪を犯させまいと必死に止めようとする看守の姿を見て、もうこんなすれ違いは嫌だ。生まれ変わって違う立場で、罪など犯さなくても幸せになれる世界で出会いたい。と思うようになる囚人。つまりこいつ殺して俺も死ぬ!となる囚人(もっといい表現あっただろ)
そうして囚人は看守のことを殺してしまう。殺されたにも関わらず自分への強固な愛を感じることができ、満足気な看守。
…ラスサビの解釈が1番難しかった。ただ如恵留さんも宮近くんも厳しい表情、辛そうな表情だったのが印象にあります。駆け落ちできて幸せそう!と言うよりは何かに苦しむ2人。
そしてついには看守の棒を奪い、相対してしまう2人。精神的な面でなんらかのすれ違いが対立を生んだんだろうと予測しました。事実棒の持ち主が入れ替わった後、宮近くんは何かを攻撃していたし、如恵留さんはそれを阻止しようと動いてるんですよね。それが囚人の最初の罪である殺人だったらいいな、なんて…(もはや希望)
だとしたら囚人は根本的価値観のすれ違い、愛しているのに自分の味方になってくれない看守を憎み、生まれ変わって幸せになりたい!と思うんじゃないかな、と。
…ただ如恵留さん、いつも曲終わりの去り際基本的に笑っている、というか微笑んでいる?んです。ずっとこの人なんで殺されたのに笑ってんだろ?と不思議に思っていたんですが、恐らくあの人なら好きな人に殺されるの喜ぶだろうなと思ってこのオチにしました。(最後の最後まで本当に申し訳ありませんでした)
純粋な愛ゆえの狂気。
これがのえちかロリデの本質だと思います。innocent(純粋、無実)というブロックにロリデを持ってくることに対して少なからず疑問がありました。
え、だってどう考えても罪の歌だし。少なくとも無実じゃ絶対ないし。なんなら歌中で罪認めてるし。
でも「純粋で無垢な真実を」というその言葉から推察される通り、法律的には、倫理的には不実とされている関係でも、当人達にとっては純粋であり無垢な感情に他ならない。まっすぐな愛情なんだと。人それぞれの純粋さなんだと。
それをロリデで表現しようとする川島如恵留さん。恐れ入りました。
以上が私のrolling daysの解釈です。虚妄の領域、超えてませんか?大丈夫ですか?大丈夫じゃなかったら…そっと殴ってください。
ここから先は私がいかにrolling daysという曲を愛し、如恵留さんと宮近くんがこの曲をやってくれたことに対しての喜び、感謝をしたかと言う話を書き残しておこうと思います。
ちゃかぱら後の雑誌のインタビューで宮近くんが「看守と囚人の演出は如恵留となにかやるならって考えてた演出」と発言し、全私が震えました。まてまて。いやまてまて。まて。
見たい。
いやでもなーちゃかぱらでロリデやってたし。もうやることはないだろうなー。
やったわ。
本家櫻井翔さんのロリデは圧倒的支配力の象徴でした。帝王の異名をもつ彼はリズム隊を従え、低い声と重圧感のあるスネアドラムで完璧なrolling daysを作りました。それはもう、櫻井翔にしかできないパフォーマンスだったと今でも思います。
だからこそ、如恵留さんがロリデをやる印象がなかった。透き通る高音が基本の如恵留さんには、ロリデは合わない(なんて真っ直ぐな表現)と思っていたからです。
違った。
アプローチの方向性が根本的に違いました。翔さんが「支配」や「統べる」ことに対して重きを置いていると表現するならば、如恵留さんは「愛への従属」。自身の意思と反している愛情に逆らうことができず縛り付けられる者。
衝撃でした。
同じ曲なのにパフォーマンスへの解釈が全く違う。翔さんのそれとも、ちゃかぱらのそれとも異なる「川島如恵留のrolling days」がそこに確かに存在したのです。ここまで本家と違う表現をしてくると思わなかった。
私がrolling days以上に思い入れのある曲はこの世に片手で数えられるくらいしかないので、この先恐らく一生、川島如恵留のrolling daysは私の人生の1ページとして描かれることと思います。
嬉しかった。私の愛する曲を、私の愛する如恵留さんが、私の考え付かなかった解釈でパフォーマンスしてくれたことが。
ありがとう。貴方は私の生きる希望だ。
といい感じで(?)この虚妄ブログの締めとさせていただきたいと思います。
最後に。
如恵留さんの解釈が聞きたいのでのえまる是非お待ちしております。
以上。
ご一読頂きありがとうございました🐈