拝啓 嵐の櫻井翔さんを愛した私へ。

これは私から嵐の櫻井翔さんへの最後の誠意です。

13年間、ありがとうございました。

 

 

担降りとは何か。

 

ずっと考えてきました。

今回は私が見つけた私なりの結論を書き、過去の思い出として俗に言う「担降りブログ」を残しておこうと思います。

 

 

担降り

ジャニーズファンによる造語で、そのアイドルのファン(担当)であることをやめる(降りる)という意味で用いられている語。

(weblioより引用)

 

、、、いやざっくりーーーー!そんなんでわかるかーーーーーー!

 

でも、「本当のファン」の定義が存在しない以上、担降りについても定義は各々の判断なのだと思います。だって言葉を定義するのに使う単語に定義がなかったら、その単語は定義できないもん。しょうがないよね。(諦)

 

そもそもアイドルと言う存在が言葉では言い表せない「虚像」である以上、担降りも同様にふわふわしたものになるんだと思います。(そんな虚像に人生かけるような人間そう多くねぇよってことなのかな。ぴえん。)

 

そんな「ふわふわした定義」に甘えて私は「大して気持ちも残ってないしFCも1桁名義しか更新しないけど、2020年末までは絶対に担降りしない」と言い張ってきました(なんて自分勝手な奴)(オタクなんてみんな自分勝手だろという開き直り)

 

 

そんな私が、どうして担降りブログを書いているのでしょうか。

 

担降りしたよってブログを書いてますが、私は今でも私は翔くんのことが大好きです。

大好きなんて言葉じゃ言い表せないと思います。

 

櫻井翔は人生の師であり、私が最も尊敬する人間です。

今もその思いに変わりはありません。

 

 

ただ、応援できないんです。アイドル櫻井翔が歩む道を、応援できない。

 

 

前までの私だったら、嵐がどんなことをはじめても(若干の違和感を抱いていようと)応援してきました。

YouTubeSNS、サブスク解禁など、彼らが世界に羽ばたくのを寂しく思いつつも、それらが嵐の、彼の選ぶ道ならと甘んじて受け入れてきました。

 

それがたとえ活動休止という選択であろうと、私はいつだって彼らの意思を尊重し彼らが選んだ道を応援してきました。

 

 

そんな私が、徐々に嵐のやること全てに疑問を感じるようになっていき、挙げ句の果てには疑念を抱くのが辛くて嵐を見ることができなくなりました。

 

 

応援できない以上、嵐をどんなに愛していても嵐についていくことはできない。

 

 

そう思ったからこその「担降り」という選択でした。

 

 

、、、ここで振り出しに戻ります。

そもそも担降りとはなんなのでしょう。

 

 

私が思う私の担降りは「伝えたい言葉がなくなること」でした。

 

 

伝える先は自担への直接的なメッセージだったり、オタク友達への愚痴だったり、あるいは嵐に一切興味がない人間に対しての惚気だったかもしれません。

 

 

とにかくありとあらゆる「嵐への言葉」が発せなくなりました。

 

 

俗にはその状態を「無関心」とも表記しますが、私の場合は「嵐が関わるコンテンツ自体には興味があるけど、それらを見てもなんとも思わない」状態だったので敢えて無関心とは区別した表記を選んでみました。てへ。

 

 

さあ1000字の時を経て、私の考える担降りの概要が見えてきました。

ここでは1000字にまとめていますが、この結論を出すのに実に1年の月日を要しました。1000字にまとめただけでも褒めて欲しい。

 

、、、なんて話は置いておいて。

 

つまり。わたしは嵐が大好きなのにも関わらず、嵐の発信するコンテンツに対して何の感情も抱けなくなってしまったのです。

 

いっそ嫌いになれたらよかった。

 

なんて。今でこそ思わないけど、嫌いになれたら良かったと思っていた時期があるほど、わたしは追い込まれていました。

 

大好きな嵐は確かにそこにいるのに、歪んだ視点でしか見れない自分。

大好きな嵐は確かにそこにいるのに、面白いともつまらないとも思えない自分。

 

怖かった。

自分の中で何かが壊れていくようで、今まで信じてきたものを全て失うようで、怖かった。

 

嵐に対して感情を抱けない自分が怖くて、わたしは次第に嵐から目を背けるようになりました。

 

そんなとき。わたしはとあるJrに出会いました。そうです。言うまでもない。Travis Japan川島如恵留さんです。(言うんかい)

 

わたしは如恵留さんに、まさに急転直下、光芒一閃、猪突猛進、電光石火、、、

とにかくとんっでもない勢いで沼りました。なんだったんだ、私の担降り出来ずに悩んでた時間。

 

恋を忘れるには新しい恋だと言ったのは誰だったっけ。まさにその通りですね。

 

なんと!わたしは翔さんを大好きなまま、降りることに成功しました。

 

翔さんを降りると決めたのは、如恵留さんが私の手を引いてくれたからです。決して翔さんの代打とか替え玉とか補充とか、そういうんじゃない。

私に「伝えたい想い」を与えてくれた人。

プラスもマイナスも全部抱きしめて応援したいと思える人。そんな人、如恵留さんに出会えたから、わたしは翔さんからの担降りを決めました。

 

と同時に。

皮肉なことに「翔さんを、嵐を、応援すること」を完全に諦めた瞬間、わたしは再び翔さんや嵐を愛おしいと思えるようになりました。

今でも理由は分かりません。

ただ、毎日毎週じゃなくても、嵐を見かけたら「ああこの人たちが好きだな」と思えるようになりました。

 

彼らの作る空気、パフォーマンス、そして笑顔。全てが愛おしかった。

 

もしかしたら再び嵐を愛おしいと思えるようになった、ということはある意味残酷な事だったのかもしれません。

 

結局2020年最後の瞬間までわたしは嵐を愛し、彼らがいない未来に絶望したのですから。

 

それでも、今でも嵐とすごした最期の2年間に寸分の後悔もありません。

 

嵐から離れるという選択、

嵐を諦めるという選択、

嵐を愛すという選択。

 

楽しかったーーーーー!!!!!!!

本当に、心の底から楽しかった。

 

辛いことや苦しいことも沢山死ぬほどめちゃくちゃあったけど、それでも全部楽しかった

こんな、ブログなんかに書ききれる思いじゃない。

 

嵐と過ごした時間は、翔さんと過ごした時間は、宝物。

 

嵐の櫻井翔さんが与えてくれた言葉に、想いに、時間に、心から感謝します。

嵐の櫻井翔さんを愛する私を愛してくれた、これをここまで読んでくれている貴方に、心から感謝します。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

また、どこかで。