推しが恋人にしたいJr.で2位になった

Myojo Jr.大賞 恋人にしたい部門

 

たかが雑誌の投票イベントに過ぎないにも関わらずJr.担を震え上がらせる単語のひとつであり、冬の風物詩ともいえるであろうMyojoのJr.大賞。

その代名詞である恋人にしたい部門で私の自担(正直該当担でさえ恋人にしたいとは思えない恋愛観の持ち主)が2位になった。

 

これを読んでくださる人はおそらくJr.大賞の概要を理解してくれているであろうから、詳細ははぶこう。

 

如恵留さん!恋人にしたいJr.2位&2年連続1位最多受賞おめでとう!

 

私は声を大にして言いたい。なぜなら如恵留担以外祝ってくれる人がいないから。

だから私は誰がなんと言おうと、この結果を誇りに思う。如恵留さんがいつも如恵留担を信じてくれているように、私も如恵留さんを信じているから。

 

正直、悔しい。

誰がなんと言おうと、なんて言わなければならないことが。

大手を振っておめでとうと言えない自分が。

2位なんて信じがたい結果を出してなお、その結果を認めてもらえないことが。

 

だけど同時に、仕方ないと思ってしまう自分もいる。

ジャニーズ「Jr.」最年長の27歳、お世辞にもJr.と名乗るには歳を食っている。

所属グループTravis Japanは結成10年目前にもかかわらず芽が出たのはここ数年の超遅咲きで、その前は後輩たちのほうが先に前に立っていたしデビューもしている。

 

「遅い」のだ。全てが。なにもかも。

Travis Japanの活躍を「今更足掻いている」と言われても私は何も言えない。

むしろそうだねー。と思う。そう、足掻いてる。

今やらなければあとがない。今じゃなければできない。過去のTravis Japanにはできなかったことを、今やろうとしている。

 

悔しい思いをしてきた。

踏みとどまって前を向いて、少しずつ変わった。

如恵留さんが変わったから、私は如恵留担になった。

もし如恵留さんが2年半前東京ドームで泣いている時のままだったら、私は川島如恵留のオタクじゃなかった。

 

「今の如恵留さんだから」出せた結果だ。

もちろんもう10年以上ジャニーズJr.なんだから、もっと前から頑張ってればもっと評価されたのにね笑という声があるのは当然だ。

でも私のように今の如恵留さんだから応援したいと思う人が、沢山いる。だから今なんだ。

 

 

Jr.大賞2022に価値がない。

その考えを、そう思う気持ちを、私は否定しようとは思わない。

でも、この結果を如恵留さんが喜んでくれた。この結果を見た如恵留さんが、「もっと如恵留担を大切にする」「もっと自分自身を大切にする」と言葉にしてくれた。

 

 

推しの笑顔が見たい。

推しに喜んで欲しい。

推しと幸せになれる。

 

誰かを、アイドルを応援する上で、それ以上に大切なことなんてあるのだろうか。

 

 

私はこのJr.大賞に価値がないなんて思わない。そこに推しの喜ぶ姿があるのなら、この2位は他の誰でもない私達如恵留担が誇るべき結果だ。

如恵留さんを好きだという思いをどうにか形に残して御本人に伝えたかったオタク達!やったね!形になったよ!やればできたよ!おめでとう!

 

 

強くいてくれる自担を、信じて歩こうと思う。

その先にどんな未来が待っていても、私は自担の歩む姿を追いかけようと思う。

だって如恵留さんがアイドルだから。

 

私に「アイドル」を応援させてくれるTravis Japan川島如恵留さんに心からの感謝と、一緒にオタクしてくれるみんなに特大のお疲れ様でした。

rolling daysに心酔して

Travis Japan、そしてTravis Japanのオタクの皆様!全国ツアー完走お疲れ様でした✨

 

というわけで遂に書きますよ。rolling days(以下ロリデ)解釈ブログ。この曲に触れずに死ぬわけにはいかないので。そりゃあもう心血削ってでも書きますよ。えぇ。

尚完全に個人の解釈なので解釈不一致に関してはご容赦ください。

 

本人達の口から「看守と囚人である」という発言があった以上、あんな崇高で高貴な看守いねーよ!と思いつつ仰せのままに認識していきたいと思います。

 

2人の関係性は(多分結構地位の高い)看守とその看守に監視、管理されている囚人。

 

イントロ前、扉が開く音と足音は看守のもの。というより、看守に歩み寄る「不実」の足音でしょうか。恐らく誰よりも誠実に気高く生きてきたであろう看守がこれから囚人と共に犯す罪が歩み寄ってくる音だと認識しました。MCのわっちゃわちゃぐっちゃぐちゃの空気が一瞬でふっと変わるあの感じ、たまらん。

そしてバックスクリーンで混ざり合う赤と黒と香りをイメージさせるような白を浴びる看守の影。恐らく看守と囚人の出逢い。Aメロ頭の歌詞「ゆらめくような香り近づく」を彷彿とさせる照明だなーーと勝手に思いました。

 

まずはAメロ。『止まらない想いで』

看守から「君=囚人」への執着、許されざる愛情。真っ直ぐな愛情。決して認められることのない罪の愛であると分かっているにも関わらず想いを止めることができない看守。

Aメロは全体的に如恵留さんの恍惚とした表情が印象的でした。囚人と対立しているという仮定も考えてみたのですが、どちらかと言うと恋焦がれているというか、頭から離れない人がいるんだろうなと思わされる表情だったんじゃないかな、と。(知らんけど)(知らんけどってつければ許されると思ってる)

 

そしてサビ。『どこまでも深い場所まで2人堕ちてゆけるなら』

看守が地位や名誉を捨ててでも囚人と共に生きたいと思う「純粋な愛情」を貫く覚悟をする。

サビが始まると同時に如恵留さんが棒で地を突くと照明が切り替わりステージが真っ赤になるのがその決意の瞬間。「優しく包み込むから」の一瞬の柔らかい表情以外は、Aメロより凛々しいというか何か野望を感じた印象でした。

 

さらにラップ。

囚人を縛り付けていた鎖は、看守からの愛情への戸惑いや迷い。囚人自身も看守を想っているが、2人を阻む弊害に縛られている囚人。

サビ終わりに如恵留さんが手を振りあげると鎖に縛られた宮近くんが現れたのでとてもびっくりしました…(小並感)

私の解釈(比較的ハピエン)では倫理観に縛られている囚人と解釈したけれど、看守の束縛の鎖でそれを断ち切って対立する2人でも楽しいですね…(誰かそういう解釈の人いませんかー?)

…っと話を戻します。

そんなこんなで「囚人もまた看守のことを愛しているが、罪を犯させたくないと思っている」ため、自分の想いに蓋をしようとしていた囚人。しかし看守が自分の想いに正直になる覚悟を決めたことを知り、囚人もまたその鎖を断ち切り共に罪を犯す覚悟を決める。長くは続かないと分かっていても泡沫の逢瀬に溺れる2人。

さあ虚妄の加速がいよいよ止まらなくなってまいりましたが果たして読んでくださっている方はついて来れているんでしょうか。

先述の通り宮近くんは鎖に縛られて登場しその鎖を断ち切るわけです。それは如恵留さんが棒をついて決意を表した時のように、宮近くんもまた決意の表れの表現だったのではないか、と思いました。その先、配信では恐らくスクリーンが映っていなかったんですが、「香りだけ漂う想いまだ彷徨う」のところは赤と白が混ざりあっているんですね…ここの2人は激しい感情というより終わりを見据えているにもかかわらず離れられない2人、というか…なんですか?(諦めないで)とにかく如恵留さんが比較的1番柔らかい表情を見せていたのはここだったような気がします。

 

「もう闇の中へ逃げよう〜」

分かっていたこととはいえ、看守と囚人の関係は本来あってはならないもの。2人の時間は長くは続かず引き離されてしまう。そんな2人はいかなる手段を使ってでも共に生きる未来を選ぶ。(ロミジュリ?)

ここからはステージが動いて1つのステージにいた2人が引き離されてしまいます。思いが通じ合い、共に生きる覚悟をしたにも関わらず引き離される2人。

と、ここで宮近くんが登場して以来着け続けていた目隠しを外します。そして一言「もう離れなくていいんですよ」…え、これを駆け落ちと言わずしてなんと言うんですか?くらいの気持ち…なんですが…(妄想です)

ただここから2人の行動や表情は険しくなっていきます。障害を乗り越えることに対して重きを置きすぎて愛がすれ違う的なあれ(どれ)を彷彿とさせる感じ…(妄想です)

 

さあ遂にラスサビ。

愛しているが故に二度と手放したくないと囚人を支配し束縛する看守。しかし自分への愛情に不安を覚えるようになってしまった囚人は、精神状態が不安定になり見境なく人を殺めようとする。(囚人になった経緯も殺人だったら尚良)

しかしこれ以上罪を犯させまいと必死に止めようとする看守の姿を見て、もうこんなすれ違いは嫌だ。生まれ変わって違う立場で、罪など犯さなくても幸せになれる世界で出会いたい。と思うようになる囚人。つまりこいつ殺して俺も死ぬ!となる囚人(もっといい表現あっただろ)

そうして囚人は看守のことを殺してしまう。殺されたにも関わらず自分への強固な愛を感じることができ、満足気な看守。

…ラスサビの解釈が1番難しかった。ただ如恵留さんも宮近くんも厳しい表情、辛そうな表情だったのが印象にあります。駆け落ちできて幸せそう!と言うよりは何かに苦しむ2人。

そしてついには看守の棒を奪い、相対してしまう2人。精神的な面でなんらかのすれ違いが対立を生んだんだろうと予測しました。事実棒の持ち主が入れ替わった後、宮近くんは何かを攻撃していたし、如恵留さんはそれを阻止しようと動いてるんですよね。それが囚人の最初の罪である殺人だったらいいな、なんて…(もはや希望)

だとしたら囚人は根本的価値観のすれ違い、愛しているのに自分の味方になってくれない看守を憎み、生まれ変わって幸せになりたい!と思うんじゃないかな、と。

…ただ如恵留さん、いつも曲終わりの去り際基本的に笑っている、というか微笑んでいる?んです。ずっとこの人なんで殺されたのに笑ってんだろ?と不思議に思っていたんですが、恐らくあの人なら好きな人に殺されるの喜ぶだろうなと思ってこのオチにしました。(最後の最後まで本当に申し訳ありませんでした)

 

純粋な愛ゆえの狂気。

これがのえちかロリデの本質だと思います。innocent(純粋、無実)というブロックにロリデを持ってくることに対して少なからず疑問がありました。

え、だってどう考えても罪の歌だし。少なくとも無実じゃ絶対ないし。なんなら歌中で罪認めてるし。

でも「純粋で無垢な真実を」というその言葉から推察される通り、法律的には、倫理的には不実とされている関係でも、当人達にとっては純粋であり無垢な感情に他ならない。まっすぐな愛情なんだと。人それぞれの純粋さなんだと。

それをロリデで表現しようとする川島如恵留さん。恐れ入りました。

 

以上が私のrolling daysの解釈です。虚妄の領域、超えてませんか?大丈夫ですか?大丈夫じゃなかったら…そっと殴ってください。

 

ここから先は私がいかにrolling daysという曲を愛し、如恵留さんと宮近くんがこの曲をやってくれたことに対しての喜び、感謝をしたかと言う話を書き残しておこうと思います。

 

ちゃかぱら後の雑誌のインタビューで宮近くんが「看守と囚人の演出は如恵留となにかやるならって考えてた演出」と発言し、全私が震えました。まてまて。いやまてまて。まて。

 

見たい。

 

いやでもなーちゃかぱらでロリデやってたし。もうやることはないだろうなー。

 

やったわ。

 

本家櫻井翔さんのロリデは圧倒的支配力の象徴でした。帝王の異名をもつ彼はリズム隊を従え、低い声と重圧感のあるスネアドラムで完璧なrolling daysを作りました。それはもう、櫻井翔にしかできないパフォーマンスだったと今でも思います。

 

だからこそ、如恵留さんがロリデをやる印象がなかった。透き通る高音が基本の如恵留さんには、ロリデは合わない(なんて真っ直ぐな表現)と思っていたからです。

 

違った。

 

アプローチの方向性が根本的に違いました。翔さんが「支配」や「統べる」ことに対して重きを置いていると表現するならば、如恵留さんは「愛への従属」。自身の意思と反している愛情に逆らうことができず縛り付けられる者。

 

衝撃でした。

同じ曲なのにパフォーマンスへの解釈が全く違う。翔さんのそれとも、ちゃかぱらのそれとも異なる「川島如恵留のrolling days」がそこに確かに存在したのです。ここまで本家と違う表現をしてくると思わなかった。

 

私がrolling days以上に思い入れのある曲はこの世に片手で数えられるくらいしかないので、この先恐らく一生、川島如恵留のrolling daysは私の人生の1ページとして描かれることと思います。

嬉しかった。私の愛する曲を、私の愛する如恵留さんが、私の考え付かなかった解釈でパフォーマンスしてくれたことが。

 

ありがとう。貴方は私の生きる希望だ。

 

といい感じで(?)この虚妄ブログの締めとさせていただきたいと思います。

 

最後に。

如恵留さんの解釈が聞きたいのでのえまる是非お待ちしております。

 

以上。

ご一読頂きありがとうございました🐈

家族売りが好きじゃなかった。

 

Travis Japanは家族」

 

ここ1年弱、Travis Japanのメンバーが口を揃えていう言葉のひとつだ。

私は正直この所謂「家族売り」があまり好きではない。

理由はみっつある。

 

ひとつ目は大したことではない。

私の嫌いな某雪なんちゃらーグループを彷彿とさせるから。

 

わがまま1人息子みたいな最年少と、それを可愛がるおじさんず。もちろんまだ高校生の彼が20をとうに過ぎたおじさん達に甘やかされることに対してとやかく言うつもりはない。むしろたくさん甘やかされて叱られて大きくおなり。

 

でも彼らの「そうするしか生き残る道はなかった感」に対する嫌悪感が私は拭えない。

 

「グループを守るためには加入を受け入れる道しかなかった」というなにかのインタビューでの言葉。

 

もちろん、今はそうは思っていないかもしれない。

でも折り合いをつけるために唯一の武器だったアクロバットのパフォーマンスの手を抜き「仲良し家族売り」に走った彼らが私は大嫌いだ。

 

加入前の彼らを私は知らないからとやかく口を出す立場でもないし、勝手に嫌いなだけだ。

どんなに高難度の技を繰り出しても人気のなかった昔に比べ、仲良し家族売りは成功したと言えるだろう。よかったんじゃん?しらんけど。

 

まあ別に雪なんちゃらーのメンバーが誰であろうと、何人であろうと、どんな売り方をしようと、私は彼らのことが変わらず嫌いだろうが。

 

とにかくそんな大嫌いなグループを彷彿とさせる売り方は、悔しい。

私の大好きなTravis Japanにはダンスという明確な武器があるのに、仲良しこよしなんて才能がなくてもできるような脆い武器をかざすアイドルになってほしくない。そう思っている。

 

 

2つ目は私の好きだったグループが「嵐」だったから。5人はいつも言っていた。

「メンバーは友達でも家族でもない、特別な存在」

もちろんこれは嵐の5人がそう考えている、というだけであって、実際にはさまざまなグループのあり方があり、関係性がある。

しかし私はこの言葉を小さな頃から刷り込まれて生きてきた。すなわち、「メンバーは友達でも家族でもない」と勝手に思い込んできたということだ。

だから「メンバーは家族」と言われると反射的に拒否反応がでる。

 

だが、私は最近、二宮さんの嵐の最後のライブでの挨拶を思い出した。

 

「後輩のみんなは嵐のようになりたいとか、嵐みたいに頑張りたいとか、そういうことはもう言えなくなります」

 

そうだ。嵐はもういない。

嵐のようになりたいと言っても嵐にはなれないように、どんなに嵐のようなグループを探しても嵐のようなグループはもういない。

 

私がいま好きなグループは、嵐じゃない。

Travis Japanだ。

 

頭では理解してた。

でも今も心のどこかで嵐を探してたんだと思う。嵐を探して、嵐と比べてたんだと思う。

 

二宮くんはこんなことも言っていた。

 

「あなたたちの色で、あなたたちの輝きを、あなたたちのファンに届けてください」

 

Travis Japanは、Travis Japanの輝く形を見つけたんだ。たくさん遠回りをして、たどり着いた先が「家族」なんだと思う。

 

私はあまり家族を大切にしたり、家族に感謝したり、そういうことが得意じゃないから、正直家族って言葉が好きじゃない。

 

でもTravis Japanはみんな家族思いの優しい子たちの集まりで、血の繋がった家族を本当に大切にしてる。そんな彼らがメンバーのことを家族だというなら、それはきっととても素敵なことだ。

 

3つ目は、心のどこかで「でも言うて君達そんなに仲良くないじゃん」と言う気持ちがあったから。事実、Travis Japanが「仲良し」になったのは結構ここ最近の話…だと思う(若干自信ない)

 

でも、Travis Japanは変わった。それだけは断言できる。何かがうまく噛み合わない5人と、そこに加入した松松。「ばらばらの5人+運命のシンメ2人」という伸びしろ抜群だった7人は、3年半の月日を経て「Travis Japan」になった。

 

何を見てそう思ったか、いつからそう変わったか、私の経験と語彙ではうまく説明できない。ただ最近のTravis Japanに流れる暖かい空気は、決して結成当初のぎこちない7人ではない。それを家族と例えても無理のない程度に、彼らは暖かいグループに成長したんだと思う。

 

 

ここまで書いておいてなんだが、なかなか最低なブログかもしれない。でもわたしは今のTravis Japanが好きだ。むしろ心のどこかでこんな暖かいグループを探していたようにも思う。

 

家族売りを克服する日も、多分そう遠くないかもしれない。

 

私が言いたいことはひとつ。「家族売りがしたいなら、君らの暖かい空気を守り抜け。」

 

どうかTravis Japanの身の上に幸多きことを。

コロナになった。推しに会えない。

2021年1月、私は新型コロナウイルスに感染しました。

ここにはコロナに感染して実際に感じた「感染していない人に伝えたいことを」を書き残して置こうと思います。

 

まず簡単にコロナに感染した経緯と私のプロフィールを書いておこうと思います。

私は都内に住んでいる学生です。

アルバイトは販売業でお客さんと密に関わることはなかったし、食事は家族としか取りませんでした。もちろん外出も最小限の買い出しなどに抑え、かなり控えていました。同居の家族にも陽性反応はなく、私の濃厚接触者でした。

それでも、感染するのです。

私が感染したのは東京都内で1日の感染者数が1000人を超えていた頃。結局感染経路は判明しませんでした。

 

喉の痛みからはじまった私のコロナ感染。

喉に異常を感じたもののほかに特に異常はなく、よくひく喉風邪かなーと放置した2日後。

突然味覚が無くなりました。

2020/10にコロナに感染した友人が「コロナは熱が出ない。味がしなくなったらやばい(個人差があります)」と言っていたのを思い出し、とにかく味覚に異常があるかを確かめることに必死でした。

餃子(家にあった1番味の濃い食べ物)を食べても味がせず、病院で検査をしたら抗体・PCR共に陽性。抗体検査は結果が出るまでにおよそ1日時間を要するPCR検査の簡易検査で、精度が落ちる代わりに約30分で検査結果が出る、というものです。抗体検査で陽性の場合は9割以上の確率で陽性。すなわち私は検査したその場で新型コロナウイルスの陽性患者と判断され、自宅療養が始まりました。

主な症状は微熱、倦怠感、そして味覚・嗅覚障害。持病もなく自宅療養で済んだので、おそらく軽症を極めていたんだと思います。

 

しかし療養、完治後も後遺症が残りました。

嗅覚・味覚障害です。

 

感染当初は匂いが一切感じられない無臭障害を発症しました。文字通り匂いや味が一切感じられなくなるのです。味覚障害に効果があると言われる亜鉛サプリメントを飲むようになってからは約1ヶ月でしょっぱい、甘い、苦いがうっすら分かるようになる位まで復活しました。

 

その後状態はなかなか好転せず、4月の頭ころからは無臭障害から、全ての匂いが刺激臭に感じる刺激性異臭症に変わりました。その日の体調や元々の匂いによって刺激臭の程度は変化しますが香水の匂いやハーブの匂いはもちろん、食事の匂いも刺激臭に感じるようになりました。

 

すなわちコロナに感染してから約4ヶ月間、ほぼ全ての味や匂いが正常ではないと感じる、ということです。

 

味覚障害や嗅覚障害は恐らく他の後遺症に比べたらそんなに辛くないです。特段体調が悪い訳では無いし、見た目では分からない。つまり、人に言わなければバレません。

それでも、しんどい。

何を食べても同じような味。唐揚げも味噌汁も漬物も、しょっぱいことしか分からない。それが味噌なのか塩なのかなんなのか、区別がつかない。

水を飲んでもお茶を飲んでもジュースを飲んでも飲んでもみんな同じ。ただの液体。

いい匂いのシャンプーもボディソープも香水もルームフレグランスもなんの匂いもしない。

異臭症がはじまってからは、美味しいご飯を食べても鼻につくような臭いを感じるのでどうしても100%の気持ちで美味しいとは思えない。

いい匂いのものを嗅いでも刺激臭に感じる。

食べることが生き甲斐、部屋をいい匂いのアイテムで満たしている私にとって、かなり辛い後遺症でした。

 

また倦怠感がやや強く、1日外出したり普段行かない場所へ出かけると翌日起きれなかったり、翌朝起きれても昼寝をしないと活動できなかったりするような疲労を感じるようになりました。

 

新型コロナになって何より辛かったことは人に迷惑をかける、ということです。

新型コロナは、感染者よりも濃厚接触者の方が外出自粛期間が長いです。

なぜなら感染者の自宅療養完了後も濃厚接触者は2週間の自宅待機を求められるから。

つまり感染者は感染から10日程度で療養期間が終了する一方、濃厚接触者は感染者の感染期間に加えてさらに2週間、外出ができません。感染者は外で元気に生活しているのに、です。

私の場合は幸い学校は冬休み期間で学校には一切迷惑をかけることはありませんでしたが、同居する母、母の職場、そして高校生の妹に多大なる迷惑をかけることになりました。

 

感染中は家の中で自分の部屋に隔離されているので外の世界と関わることもなく、元々インドア派の私は味覚障害以外に特に不便を感じることなく過ごしていました。

しかし療養期間がすぎ私が元気に生活するようになってからの2週間、なかなか家族と顔に合わせることができませんでした。申し訳なさゆえに、合わせる顔がなかった、という方が適切かもしれません。

とにかく自分の周りにはなんの影響もなかったのに、家族と家族の周りには迷惑をかけてしまったという意識と、自分はもう元気なのにまだ家族を家に縛り付けなければならないという申し訳なさに押しつぶされそうでした。

 

感染したことがない人に伝えたいこと。それは

・誰にでも感染の可能性はあること

・重度の疾患がなくても後遺症が残ること

・コロナとは身体より心が蝕まれる病気であること

の3つです。

 

日本全国でこれだけ感染が広がっている以上、あなたの周りにもおそらく1人は感染経験者がいます。ですがその人があなたに感染者である、または感染者経験者であることを伝えているとは限りません。事実私もコロナに感染したということは親しいごく一部の友人にしか伝えておらず、学校の友人は1人も知りません。濃厚接触者でなければ伝える義務はないからです。

コロナの感染は、想像以上に辛いです。

学生という社会的責任のほぼない立場で、東京という噂話の広がらない他人に無関心な街で、家族以外の濃厚接触者を出さず、重度の疾患がない私でもしんどかった。おそらくもっともっと辛い思いをされている方がたくさんいます。

 

あなたが、そうなるかもしれない。

これを読んでくださっているあなたに、私のような辛い思いを、私以上に辛い思いを、して欲しくない。

 

といっても、現在の医学や生活では感染を完全に防ぐことができない、というのが残念ながら現状です。

 

どうか、手を洗い、うがいをし、たくさん水を飲んでください。思いつく限りの感染対策をしてください。

 

何度でも言います。コロナは辛い。

 

最後までお読みいただきありがとございました。

 

末筆ではございますが私の新型コロナ感染におきましてご尽力いただきました医療従事者の皆様、保健所の皆様に心よりお詫びと感謝申し上げるとともに、全ての医療従事者の皆様に重ねて感謝申し上げます。

 

2021.4.26

 

如恵留くんと生きていくと決めたので

 

2020年。

恐らく日本と世界の歴史に名を残すであろうこの年に、わたしは川島如恵留さんの沼に落ちました。

それはもう、まさに雷に打たれるが如く。

 

、、、ということでついに!やってきましたー!

沼落ちブログ!

 

私これ書いてみたかった!

何せ元担の櫻井さんに出会ったのは小学生になる前でしたし、なんやかんや()あって西畑くんから恭平くんに降りたのは受験真っ只中!ブログ書いてる場合じゃなかった!

 

ようやくわたしも沼落ちブログがかけるー!

とウキウキわくわくしております。

 

が、結局のところ沼落ちブログてなんだろう、、、😆

 

私の自分語りって誰にも需要ないな?となってしまったのですが😔

ブログてそういうもんだし!せっかくなのでね!備忘録として!書いて残しておこうと思います!

 

(追記:1年かけて書いておりますので大変長くなっております。ブログが長いのは担タレということでご理解いただける方はぜひお付き合い下さい)

 

さて!

沼落ちブログが書きたい!という一心ではてブロを開いてしまいましたが、実は私がTravis Japanというグループを知ってから川島如恵留さんにたどり着くまで、とーっても長い時間がかかります。

 

というわけでセクションに分けてちょとずつ書こうかな!なんて!ね!(進め方下手か)

 

Travis Japanとの出会い

⒉猛布教されて知ったTravis Japanの恐ろしさ

3.自粛期間とTravisJapan

4.私と川島如恵留

 

 以上4つの観点から順を追って書き進めていこうと思います

 

まずは

1.Travis Japanの出会い。

 

さかのぼることおよそ5年前だったかなー。

2015年の嵐の5大ドームツアーJaponismのバックについていたJr.がTravis Japanでした。

普段Jr.にまっるで興味のなかった櫻井担の私がマジで奇跡的にTravis Japanの名前を覚えていたのは、潤くんが直々にオファーをしたJr.らしいと小耳に挟んだからだったと記憶しています。雑誌のインタビューか何かだったかな。

いつもと違うJrがつくらしい」というのがTravis Japanの第一印象であり、それ以上でも以下でもありませんでした。(なんならいつものJr.って誰なん?とさえ思ってた。)

 

トラジャに出会った当時の私にとってJrは、「推し」の対象ではなかったんです。

私は「明日何があるか分からない人達を本気で推すなんて意味が分からない」と思っていました。そもそも当時Jrというのは本当に露出が少なかったし、気軽に推せる存在ではなかった。そしてJr担というのは金と時間に余裕がなければ全うできない責務だったのです。

お金のない中学生オタクだったわたしには、Jr担なんて空の彼方のその上のような存在でした。

 Jrの立場は2018年頃を境に大きく変わったように思います。

露出媒体の幅はどんどん広がり、単独コンサートのキャパはどんどん大きくなり、ついには東京ドームでコンサートをやるまでになりました。いつの間にか私の知ってる「Jr担」の概念は、もはや古いものとなっていきました。

 

そんな時代の移り変わりを他人事のように傍観していた頃のことです。

わたしは存在をすっかり忘れかけていたTravis Japanの名前を、もう一度耳にすることになりました。

 

他でもない某松田担のせいです。

松田担の彼女は、私の高校生活において数少ない友達の1人です。そこそこ親友だと思ってたやつが、ある日突然Travis Japan松田元太がすきだと言い出しました。何を唐突に、という感じなのですが私も唐突に言われたから唐突にしか書けない。まあーそりゃあ衝撃でした。びっくり。え!?だってお前櫻井担だったじゃん!?いつの間にJrに手だしてたん??

 

まあ何はともあれ()。

親友が突然Jr.担になってました。そして私は櫻井担であり西畑担。

ということで受験生のはずの私たちは学校での短い自由時間、パズドラに熱中し、Jr大賞、そして「Travis Japan松田元太」の話に花を咲かせていました。休み時間どころか授業時間45分もフルで喋ってた。まじで迷惑。

 

今だから笑って言えますが、当時(2019年末)嵐と二宮くんに失念してばかりだった私には彼女が羨ましかった。

 もちろん2019年当時、櫻井さんも西畑さんも大切な、大好きな自担でした。

 

でも、私と彼女は何かが決定的に違った。

真っ直ぐTravis Japan松田元太を信じて、彼らが大好きだという彼女が私には眩しくて羨ましくて、私もそんなオタクでいたかったなと思いました。

 

ただし残念ながらわたしはこの時Travis Japanに興味を持つことができずにいました。

何せ、もう何年も前からJrなのにまだJrのおじさん達、だと思っていたからです(本当にごめん)

 

この後私と松田担はいよいよ本格的に受験がはじまり、顔を合わせない日々が続き、私も自然とジャニーズから離れていました。

私と松田担の大学受験全行程が無事終了した日。なぜか受験会場を出たその足で東京ドームシティへ!(本当になぜそんなことをしていたのか全然わからない)

 

1ヶ月ちょっとぶりに顔を合わせた松田担の第一声は「ねぇちょっとこれまじで見て欲しい」

そういって強制的にえあどろされたのはTravis Japanの千年メドレー

 

トラジャに興味がなかったわたしは内心またトラジャかよ☺️と思ったし、正直、いつの間にか東京のJrを代表して当時の私の推し(恭平くん/なにわ男子)とデビューを争う存在になっていたTravis Japanを鬱陶しく思っていたのも事実でした。

 

「ああ宮近くんとあんたの推しの松田?のいるとらじゃね」

 千年メドレーをえあどろされた時はそんな軽い気持ちだったし、それ以上でも以下でもなかったと思います。なにせ興味がなかった。(何回いうん)

 

まあ昔から布教されたものは食わず嫌いせずなんでも美味しくいただくタイプなのでとりあえず見るかーということでTravis Japan7人の中でかろうじて名前と顔を覚えていた宮近くんを集中的に見せもらうことにしました。

トラジャをみよう、という気持ちより宮近くんが見たい、という気持ちの方が強かったと思います。

 

、、、いやジャニーズJrってこんな凄かったっけ?

 

とにかくびっくりしました。

嵐担だったわたしは、別に歌や踊りなんてどうでも良かった。ただ、アイドルがキラキラにこにこしているのを見るのが好きで、歌や踊りは二の次でした。

 

そんな私に神様はTravis Japanというグループのパフォーマンスをお与えになった。

 

顔でもキラキラ度でもない、「パフォーマンス」で勝負してくる彼らに胸を打たれたのは事実でした。

 

ところが。

前述の通りわたしはパフォーマンスには興味がないオタクだったので、すげぇーグループがいるんだなぁ。で終わりました!嘘だろう!それがびっくりほんとなんだな!

それはもう本当に申し訳ないんだが、なにせわたしは「Hi美ならともかくTravis Japan?おじさんじゃん」くらいに思って、、、いた、、、ので、、、

私の代わりに自担川島如恵留がバク宙土下座を捧げます大変申し訳ございませんでした。

 

しかし散々Travis Japanに興味はないといいつつ、この頃からわたしはTravis Japanyoutubeを見始めます。だってパフォーマンスはすごかった。

 そしてわたしがTravis Japanに少し興味を持ち始めたらしい、ということを聞きつけた松田担(と同じ部活の中村担)からの猛攻撃がはじまるのです。そりゃもうとんでもない勢い。

 

というわけで第2章!

2.猛布教されて知ったTravis Japanの恐ろしさ

れりごー!

 

それは春休みのお泊まり会の時の事だったと記憶しています。

受験も終わり、完全に腑抜けになっていたジャニオタ3人が集まって推しの話にならないわけが無い。

3人の共通推しだったなにわ男子の話を一通り終えたところで、2人がTravis Japanの話をしはじめました。またかよ💢だからわたしはとらじゃそんなに興味ないし(以下略)

でもわたし、優しいオタクなのでね。聞きましたよ、Travis Japanの話。正直はぁ〜興味ねぇ、と思いながら聞いてたのであんまり覚えてないんですけど。(おい)

 

2人は春休みを駆使して私にTravis Japanの色々な媒体を見せてくれました。8.8はもちろん、少クラや素顔4、とらつべのおすすめ回まで非常に多種多様な動画を見せられ、私も甘んじて見せていただきました。

 

まあーーーーーーーーーー刺さらん。

なにを見たのかもあんまり覚えてないくらいには記憶にない。

見れども見れどもメンバーは覚えられないし、宮近海斗以外視界に入らん。

でも宮近くんはかわいい♡

、、、お前の目ん玉は節穴なんか??いや宮近さんは可愛いけど。

 

その後もめげない2人から「とにかくダンスが上手くてすごい」「youtubeの寝起きドッキリがおもしろい」「とりあえずコンサート見て欲しい」「川島如恵留のブログはとても長い」

などと相変わらず絶妙にへったくそな布教は続くも、私はいつまで経ってもトラジャに沼落ちしませんでした。(まさか最後の1つ「川島如恵留のブログはとても長い」が私の運命を狂わすことになろうとはこの時誰も思いませんでした。おそらく、2人も。)

 

そんなわけでゆるーくトラジャを見つつも、相変わらず惰性で嵐を応援し、なんとなーく恭平ちゃんを推す毎日でした。

 

そんな私の腑抜けた春休みは、新型コロナウイルスの影響で一変することになります。

ご存知の通り、外出できない日々が続きオタクは時間を持て余すこととなりました。

 

ここで

3.自粛期間とTravisJapan

がやってきます。ここまで5000字ですが果たして何人ついてきてくださっているんだか

 

 とにかくやることがない。仕方が無いのでJrチャンネルを徘徊し、よく分からんJrの頑張りをのーんびり見ながらお菓子を貪る毎日が続きました。

 

そんな暇を持て余しまくる日々が続いたある日、突然わたしは思い出しました。

川島如恵留のブログはジャニーズ1長い」

という言葉を。

 

何を隠そう、わたくし、ジャニーズweb大好きオタク。自粛期間もいろんなジャニーズのブログを読み漁っておりました。が、未だ川島如恵留さんのブログには手を出していませんでした。

 

時間を持て余しているにもかかわらずブログ読まないなんて手はない!

 

ここでのえまるに手を出さなければ今頃私の人生はこんなじゃなかったことでしょう。

ここでTravis Japanと再会してから約半年、私は運命の扉を開くことになりました。あー長かった。

 

2020年4月14日更新ののえまるが何文字か、皆さんご存知でしょうか。

私の記憶が確かであれば16425文字です。それは5月だったかも

なぜ読もうと思ってしまったのか、今でも思い出せません。ただブラウザバックをするなんて選択肢はなかった。本当に暇を持て余していたんでしょう(おい)

 

そんなわけで2020年4月15日にのえまるをはじめてひらきました。とんでもない勢いで読んだ。それはもう、活字中毒の本領発揮これでもか、というほどのスピードで。

 

理由はわからないけど、1回読み出したら途中で抜けられない。

何が何でも最後まで読みたくなる。

 

うん、何言ってんのか全然わかんないけど、多分とてつもなく私の好きな文章なんだと思います。

 

改行のタイミング

たくさんの人に対しての配慮が見える言葉の選び方

自分の置かれた状況を理解してそれを利用した文章を書く(いや説明下手か)

自分に自分で突っ込みを入れてる(可愛い)

そして、ファンへの愛が見える

 

私は随分長らく櫻井翔のオトノハがまじで宇宙一好きなwebだと公言してきたわけなのですが、ついに世代交代を検討しなければならないかと覚悟したほど如恵留くんのとらまるは私が好きな文章でした。(今のところ同率1位ってことにしてます)

 

うん、うまく言えない☺️

 簡単に言うと「顔じゃ無くて文章が好きな人に出会ってしまった」んです。

 

これまで私の中で「日本語の扱い」と言うジャンルにおいて櫻井翔に並ぶものはいなかった。のえまるとの出会いは、私の中での歴史が大きく動いた瞬間でした。

(非常に意味不明な発言ですが本人は至って大真面目に書いてます)

 

何より、ファンへの想いがすごい。こんな理想の塊みたいなアイドル、実在するんだ。これはとんでもない子に出会ってしまったかもしれない。

二宮くんの結婚以来精神的ダメージが大きすぎてなかなか社会復帰できず廃人生活を送っていた私に、一筋の光がさした瞬間でした。 

 

この子のことをもっと見たい。

この子のことをもっと知りたい。

この子のグループを知りたい。

 

そんな一心でいろんな動画を見ました。

当時上がっていたトラチューブ全122本、過去の少クラ、コンサート達、、、

とにかく自分の力で見られるものはなんでも、文字通りなんでも見ました。

なんせ時間が有り余っていた。

これに尽きる。本当に不幸中の幸い、だったんだと思います。

あんなに時間がなければ私はTravis Japanに向かって猛進していくことはなかったでしょうから。

 

とにかく周りがなにも見えないくらい、文字通りの猪突猛進で私は川島如恵留沼に突っ込んで行きました。

 

そして知りました。

 

美しい、という言葉があまりにもぴったりなお顔

信じられないような足の長さを誇る抜群のスタイル

たとええげつない変顔をしようとも隠しきれない育ちの良さ。

透き通るような甘い声と寸分も軸のぶれないダンス

舞台を華麗に舞う見事な身のこなしのアクロバット

すべての人に対して気配りをし、ファンにはまっすぐ愛を伝える誠実さ

私が今だかつて見たことがないほどやかましいグループTravis Japanを見事にまとめ上げる統率力

これほどのポテンシャルを誇ってもなお傲ること無く直向きに努力を重ねる向上心

まさに容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群。

 

一体できないことは何なんだろう。と検索してみたら

 

食レポ

 

、、、嘘やん。(今は随分上達しました)

 

そんな彼に無性に興味が湧いてうっかり沼入りした女は私でーす。 

というわけで既に沼落ちフラグはばっちりなんですがここからさらに加速してまいります。 

 

 

 

 というわけでお待たせしました。(待ってないって言わないで)

川島如恵留と私

に進んでいこうと思います。

 

そんなこんなでジャニーズWebを読んだだけで瞬く間に川島如恵留沼を開拓して行った私に、最後の追い討ちをかけたのが「ジャニーズJrからのお手紙企画」でした。幸か不幸か、瀕死の思いでようやくのえまるを読了したところで今度は直筆のお手紙が届いたわけです。 

 

よし。川島如恵留くんのお手紙を読んでみよう。なんて、のえまるが面白かったからと興味本位で開いたのが運の尽き。

これが私のオタク人生を決定づける出来事でした。

 

、、、ああ、終わった。

 まじでその一言に尽きる。

 

泣いた。物理的に泣いた。

そりゃもうこの世の終わりかってくらい泣いた。

如恵留くんからのお手紙には、私がアイドルから聞きたかった言葉が全部書いてあったから。

 

「いつまでも貴方の自慢でありたいと強く願っています」

 

私は推しが自慢だったんだなとその時初めて気づきました。

 

なんの取り柄もない私のたった一つの自慢は、推しだった。

推しと歩む何気ない毎日が宝物で、自慢だった。

一緒に夢を叶えるなんて言ったら笑い話にされることの方が多いけど、そんな笑い話に人生かけて挑むのが楽しかった。そんな気持ちを思い出させてくれるお手紙でした。

 

そして文字、言葉、行間、何もかもが好きだった。私の好きな手紙はあの日公開された手紙の中で如恵留くんのものただ一通でした。

人が恋に落ちる瞬間ってあれだったんだと思うの。(大真面目)

 

私がアイドルから聞きたい言葉が、それ以上がそこに存在してた。

 久しぶりに声を上げて泣きました。そりゃもうめちゃくちゃ泣いた。 私がずっと探していたのは、これだったんだと。運命の出会い、なんて言ったら大概の人は笑うけど、きっと運命だったんだと思う。

 

心から愛した元担櫻井さんの代わりでも、恋焦がれた二宮くんの代わりでもない。

世界でたった一人の川島如恵留くんを、私はあの時見つけました。

 

気になることは何でも調べたくなっちゃうのが私の癖。とりあえず手当たり次第に何でもみました。

 

いや、沼すぎる。

 大事なことなのでもう一度言いますね。

 

美しい、という言葉があまりにもぴったりなお顔

信じられないような足の長さを誇る抜群のスタイル

たとええげつない変顔をしようとも隠しきれない育ちの良さ。

カロンみたいに甘い声と寸分も軸のぶれないダンス

舞台を華麗に舞う見事な身のこなしのアクロバット

すべての人に対して気配りをし、ファンにはまっすぐ愛を伝える誠実さ

私が今だかつて見たことがないほどやかましいグループトラジャを見事にまとめ上げる統率力

これほどのポテンシャルを誇ってもなお傲ること無く直向きに努力を重ねる向上心

あと愛が重い (追加)

 

もう隠すこともないのではっきり言いましょう、重い人が好きです。

元彼二宮和也サイコパスじゃないの?と言うような発言が多かったのですが、私は彼のそういうとこがとても好きでした(まさかほんとにサイコだとは思わなかったけど)

 

二宮くんの場合はその重い愛の対象は嵐でありメンバーでした。

 

ところが何と、如恵留くんの場合はその愛が紛れもなくファンに対しても向いているんです。

いやはや、衝撃。ファンを本気で愛してくれるアイドルなんているんだ。

 

如恵留くんの愛は多分全人類に向いていて、その中の1つがファンへの愛なんだと思います。メンバーに対してあんなにまっすぐ愛を伝える人を私は他に知りません。自分が関わるすべての人、自分の言葉が届くであろう全ての人に対して配慮をするのは並大抵のことじゃないからです。

それでもそれをやってのけるだけの愛を持って他人に接しているのが如恵留くん。

 

人間として出来過ぎじゃない?もはや人間じゃ無くて仙人?

 

と思ったら割と人間。

如恵留くんは優しくて強いけど、だからこそというかそれゆえにというか、とっっっっっっっっっっても不器用なんだと思います。普通ここまで完璧になろうとなんてしないでしょ。(と思っちゃうのは私がダメ人間だからなのかな)

 

何でも完璧にこなすためにたくさん努力してるのが垣間見えたり、向き合わなくていいところにまでまっすぐ向き合ってしまうところ。真面目すぎて要領悪いよね、もっと力ぬけばいいのに、と思う場面がたくさんあるのは、如恵留くんの良さだと思う。

 

頑張る姿を見てもらって、ファンの人が頑張るきっかけになりたい。

そう語る如恵留くんを見てると、この人は生きるためにアイドルをやってるんじゃ無くてアイドルをやるために生きてるんだろうなって。死ぬほど愛おしい。

 

そのくせ「愛した分だけ愛されたい」「小さい頃から甘えそびれてきちゃったから、ファンの人には甘えさせて欲しい。そしたら報われてるって思える。」って言い出す。

 

如恵留くんの強さの根底に、少なからずファンがいる。アイドルを応援してて、そんなに嬉しいこと他にないよね。

 

いつまでも、あなたの自慢でありたい。

挑戦する動機、継続への決意、人間関係のきっかけとなれるように生きていく。

 

私は如恵留くんのそんな「アイドルをやるために生きている姿」を好きになったんだと思います。もちろん、彼の全てが好きだけど。

 

川島如恵留が私にとって「理想のアイドル」そのものです。

これが自粛期間に突如川島如恵留沼を発掘し、ある日突然頭から突っ込んでいったお話。

 

 

そして決意しました。

私は櫻井翔さんに別れを告げて、川島如恵留と一緒に生きていこう。

 

翔さんが人類の中で最も敬愛する人間であることは絶対に変わりません。だけど、私が好きだった「嵐の櫻井翔」は2020年末にいなくなってしまう。

翔さんからの担降りは清水の舞台から飛び降りるどころか、大気圏スレスレからのスカイダイビングくらいの決意でした。(そういえば如恵留くんとらつべでクリスマスプレゼントにスカイダイビングの権利手に入れてたの、結構楽しみにしてる。)

 

なにせ終わりが見えているんだから。翔さんの歩む道を最期まで応援したかった。

でも惰性で応援するには嵐はあまりにも遠く、Travis Japanはあまりにも身近だった。

 

川島如恵留は、2020年末より先の未来に絶望して前に進めなくなってしまった真っ暗闇を彷徨う私の手を、無理に引くわけでも懐中電灯を渡すわけでもなくただ寄り添ってくれた唯一の存在でした。

 

過去も未来も、彼になら預けられる。私の自慢の自担です。

こんな年に。こんな時代に。こんな時に。いいえ、だからこそ。私は如恵留担になったんだと思います。

こんな年に。こんな時代に。こんな時に。正面から向き合い、進もうとする如恵留さんに、Travis Japanに、私は惚れ込んだんだと思います。

 

出会えて、良かった。

 

絶望の淵で、何度も何度も、そう思いました。

これからもきっと、とらじゃを好きでいる限り、何度だってそう思うことでしょう。

 

ありがとう。

あなたを、君たちを、勝手に生きがいにする私を受け入れてくれて、ありがとう。

 

どうか、あなたのみる世界が、美しい光で彩られていますように。

彼のこれからの幸せと、私の幸せを心から祈って。 

 

拝啓 嵐の櫻井翔さんを愛した私へ。

これは私から嵐の櫻井翔さんへの最後の誠意です。

13年間、ありがとうございました。

 

 

担降りとは何か。

 

ずっと考えてきました。

今回は私が見つけた私なりの結論を書き、過去の思い出として俗に言う「担降りブログ」を残しておこうと思います。

 

 

担降り

ジャニーズファンによる造語で、そのアイドルのファン(担当)であることをやめる(降りる)という意味で用いられている語。

(weblioより引用)

 

、、、いやざっくりーーーー!そんなんでわかるかーーーーーー!

 

でも、「本当のファン」の定義が存在しない以上、担降りについても定義は各々の判断なのだと思います。だって言葉を定義するのに使う単語に定義がなかったら、その単語は定義できないもん。しょうがないよね。(諦)

 

そもそもアイドルと言う存在が言葉では言い表せない「虚像」である以上、担降りも同様にふわふわしたものになるんだと思います。(そんな虚像に人生かけるような人間そう多くねぇよってことなのかな。ぴえん。)

 

そんな「ふわふわした定義」に甘えて私は「大して気持ちも残ってないしFCも1桁名義しか更新しないけど、2020年末までは絶対に担降りしない」と言い張ってきました(なんて自分勝手な奴)(オタクなんてみんな自分勝手だろという開き直り)

 

 

そんな私が、どうして担降りブログを書いているのでしょうか。

 

担降りしたよってブログを書いてますが、私は今でも私は翔くんのことが大好きです。

大好きなんて言葉じゃ言い表せないと思います。

 

櫻井翔は人生の師であり、私が最も尊敬する人間です。

今もその思いに変わりはありません。

 

 

ただ、応援できないんです。アイドル櫻井翔が歩む道を、応援できない。

 

 

前までの私だったら、嵐がどんなことをはじめても(若干の違和感を抱いていようと)応援してきました。

YouTubeSNS、サブスク解禁など、彼らが世界に羽ばたくのを寂しく思いつつも、それらが嵐の、彼の選ぶ道ならと甘んじて受け入れてきました。

 

それがたとえ活動休止という選択であろうと、私はいつだって彼らの意思を尊重し彼らが選んだ道を応援してきました。

 

 

そんな私が、徐々に嵐のやること全てに疑問を感じるようになっていき、挙げ句の果てには疑念を抱くのが辛くて嵐を見ることができなくなりました。

 

 

応援できない以上、嵐をどんなに愛していても嵐についていくことはできない。

 

 

そう思ったからこその「担降り」という選択でした。

 

 

、、、ここで振り出しに戻ります。

そもそも担降りとはなんなのでしょう。

 

 

私が思う私の担降りは「伝えたい言葉がなくなること」でした。

 

 

伝える先は自担への直接的なメッセージだったり、オタク友達への愚痴だったり、あるいは嵐に一切興味がない人間に対しての惚気だったかもしれません。

 

 

とにかくありとあらゆる「嵐への言葉」が発せなくなりました。

 

 

俗にはその状態を「無関心」とも表記しますが、私の場合は「嵐が関わるコンテンツ自体には興味があるけど、それらを見てもなんとも思わない」状態だったので敢えて無関心とは区別した表記を選んでみました。てへ。

 

 

さあ1000字の時を経て、私の考える担降りの概要が見えてきました。

ここでは1000字にまとめていますが、この結論を出すのに実に1年の月日を要しました。1000字にまとめただけでも褒めて欲しい。

 

、、、なんて話は置いておいて。

 

つまり。わたしは嵐が大好きなのにも関わらず、嵐の発信するコンテンツに対して何の感情も抱けなくなってしまったのです。

 

いっそ嫌いになれたらよかった。

 

なんて。今でこそ思わないけど、嫌いになれたら良かったと思っていた時期があるほど、わたしは追い込まれていました。

 

大好きな嵐は確かにそこにいるのに、歪んだ視点でしか見れない自分。

大好きな嵐は確かにそこにいるのに、面白いともつまらないとも思えない自分。

 

怖かった。

自分の中で何かが壊れていくようで、今まで信じてきたものを全て失うようで、怖かった。

 

嵐に対して感情を抱けない自分が怖くて、わたしは次第に嵐から目を背けるようになりました。

 

そんなとき。わたしはとあるJrに出会いました。そうです。言うまでもない。Travis Japan川島如恵留さんです。(言うんかい)

 

わたしは如恵留さんに、まさに急転直下、光芒一閃、猪突猛進、電光石火、、、

とにかくとんっでもない勢いで沼りました。なんだったんだ、私の担降り出来ずに悩んでた時間。

 

恋を忘れるには新しい恋だと言ったのは誰だったっけ。まさにその通りですね。

 

なんと!わたしは翔さんを大好きなまま、降りることに成功しました。

 

翔さんを降りると決めたのは、如恵留さんが私の手を引いてくれたからです。決して翔さんの代打とか替え玉とか補充とか、そういうんじゃない。

私に「伝えたい想い」を与えてくれた人。

プラスもマイナスも全部抱きしめて応援したいと思える人。そんな人、如恵留さんに出会えたから、わたしは翔さんからの担降りを決めました。

 

と同時に。

皮肉なことに「翔さんを、嵐を、応援すること」を完全に諦めた瞬間、わたしは再び翔さんや嵐を愛おしいと思えるようになりました。

今でも理由は分かりません。

ただ、毎日毎週じゃなくても、嵐を見かけたら「ああこの人たちが好きだな」と思えるようになりました。

 

彼らの作る空気、パフォーマンス、そして笑顔。全てが愛おしかった。

 

もしかしたら再び嵐を愛おしいと思えるようになった、ということはある意味残酷な事だったのかもしれません。

 

結局2020年最後の瞬間までわたしは嵐を愛し、彼らがいない未来に絶望したのですから。

 

それでも、今でも嵐とすごした最期の2年間に寸分の後悔もありません。

 

嵐から離れるという選択、

嵐を諦めるという選択、

嵐を愛すという選択。

 

楽しかったーーーーー!!!!!!!

本当に、心の底から楽しかった。

 

辛いことや苦しいことも沢山死ぬほどめちゃくちゃあったけど、それでも全部楽しかった

こんな、ブログなんかに書ききれる思いじゃない。

 

嵐と過ごした時間は、翔さんと過ごした時間は、宝物。

 

嵐の櫻井翔さんが与えてくれた言葉に、想いに、時間に、心から感謝します。

嵐の櫻井翔さんを愛する私を愛してくれた、これをここまで読んでくれている貴方に、心から感謝します。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

また、どこかで。

私とTravis Japanの2020年夏

Travis Japanと過ごす8月。

そんな言葉がぴったりだったんじゃないかなあ

なんて思っちゃうね。

 

アリーナ以上のコンサートが中止になって配信に切り替わって。夏が来ないねなんて寂しがってたのは7月の頭の話だったかなあ。

そんな絶望の夏を今までで1番忙しい夏にしてくれたのは他でもないジャニーズJr.で。Travis Japanで。

 


Summer Paradise 2020

俺担ヨシヨシ自担推し推し 緊急特別魂

 


Travis Japanソロ21公演

 


簡単に思い出と感じたことをメモに残して置こうとおもいます。

 


8/1 川島如恵留

トップバッターって言われときYouTubeかと思った笑(本人談)のその言葉に、のえ担は大きく首を縦にふりましたが。

まさにトップバッターを飾るのに相応しい、なんて烏滸がましいけれど。贔屓目なしでサマパラ2020の初演は、川島如恵留以外に考えられないと思う。

「お手本みたいな」という言葉が褒め言葉になるのか分からないけれど、お手本みたいな公演だった。

如恵留くんの脳内を言語化するとのえまるで、行動化するとのえぱらになるんだろうなあ。

「ジャニーズ」というある種のブランドに誰より憧れと尊敬とプライドを持ち、そのブランド名に恥じないだけの経験を積んできた如恵留くんだからこそ組めたセトリ。

自分の夢と憧れ、今と過去、知識と経験、愛。そのひとつひとつを1時間半のパフォーマンスで全部表現してくるとは。恐ろしい人だとシンプルにひいた(褒めてる)

 


8/2 中村海人

天才。

何が、とかじゃない。中村海人は天才。

まず選曲が神。今の自分にどんな曲があっているのか、それをどう構成したらいいのか、Jr.の中で1番分かってるのは海くんなんだと改めて感じた。親バカかなあ。

そして選んだ曲をどう魅せるのか。

どんなに選曲が良くてもそれを殺すパフォーマンスなんていくらでもある。配信だから出来ること、配信じゃなきゃできないこと。それを、海くんがひとりでやるということ。ああこの人は演出の引き出しが沢山あって今の自分がやるのに相応しいものを選ぶのが上手いんだなあ、なんて。

何より約1ヶ月間連ドラの撮影とソロ公演の準備を同時にこなして連ドラアップ直後にサマパラ3公演やるなんて並大抵のことじゃない。

海くんまじで努力の人なのね。恐れ入りました。

 


8/4 松田元

1公演目1曲目開口1番アカペラanniversaryでああ、元太だ。と思った。元太Worldってこういうことか、と。

普段明るくておバカな元太の静と動を両方感じられる1時間半。静多めだから新鮮だったんだけど、本人がディナーショーみたいな大人っぽいコンサートを目指したってインタビューで語ってたのを見てふっと納得した。

自分で意見を出したり案をもってくることを普段あまりやらない受け身なタイプと言っていた元太だけど、表現したいことはしっかりあってそのために周りを頼れるところがすごく元太らしい。

恐ろしいほどの表現力と、真っ直ぐな愛。

どこまでも真っ直ぐな元太はいつまでもそのままで、などと思った1日だった。

 


8/5 七五三掛龍也

スィートがテーマだって言ってたしめちゃんらしい、めちゃくちゃスィートなサマパラだった。

ただ甘ったるいんじゃなくて所々にアクセントを持ってきててずっとお肉とお魚とデザートが交互にでてくる、みたいな…(何の話ですか)

自分がどうしたら可愛くてどうしたらかっこいいのかの把握力が半端じゃない。

しめちゃんはメンバーのヘアセットしてる時にも思ったけどどうしたらその人が1番輝いて見えるのか、をTravis Japanで1番把握しているんだと思う。自己プロデュース他己プロデュース共に長けてるその技量を存分に発揮した夏だったね。

ファンどころか相葉くんにまでにヨシヨシさせるの、多分しめちゃんしか出来ないと思う。

可愛がられる、という観点において天性の何かをもってるしめちゃん、まじでいつまでも姫でいてくれ。

 


8/7 吉澤閑也

CARNIVAL night part2でカーニバルを持ってきた時点でああこの人はやべぇわ、と白目を剥きました(褒めてる)

しずパラはひたすら閑也の優しさが詰まった1時間半。リア恋拗らせて来たかと思ったらしめちゃんに盗られてフラれるし。あれ、私たち閑也の手のひらで転がされてる!?ということに気づいた頃にはもうtogether nowでした。

なんでも優しく受け止めてくれる、のその言葉通り。しずパラ、見ると温かく抱きしめてもらえるんだよね。

インタビューで毎日2.3時間しか寝れなかったって言ってたけどまじでひと夏全部サマパラのために生きてたんだろうなあって思ったらちょっと泣いた。入所したばっかの子達にまで温かく優しく見守る閑也をみて私がJrだったら閑也のバックにつきたいなあと思いました。

 


8/8 松倉海斗

あの日からぴったり1年後のその日のコンサートを託された松倉くんがどんなことをやるのかな、と多分誰もが思ってた。

ら。

ローラーかよ!?やりたかったんだね…可愛いね…1年越しに叶って良かったね…(違)

松倉海斗の描く世界ってちょっと理解に苦しむ時が多くて難しいから大丈夫かなあーと思ってたんだけど。

いやはや楽しかった。

なんだろうね、それぞれのブロックでやってることはバラバラなんだけど1本のストーリーの中でのメッセージはずっと変わらないからとっちらかってる訳じゃなくて。

辛い思い出の日を塗り変えるんじゃなくて、楽しい思い出の日に更新したいってその言葉がどれだけ沢山の人を救ったんだろうなあ。

一緒に素敵な景色を見続けたい、絶対デビューしようねってその言葉を叶えるために一緒に頑張りたいなあって、改めて決意できた日でした。あまりにも感化されて翌日ローラーしに行きました難しかったです。

 


8/10 宮近海斗

rolling days以外記憶にありません。嘘です。

いや正直まじで1時間半×3ひたすらちゃかめろー♡しか言えなかった。

この人がTravis Japanのセンターでリーダーなんだって誰もが改めて感じたと思う。半端じゃない。やばい。

宮近くんの強さは天性の見る人全ての目を奪うパフォーマンス力と、人を信じて愛して信じられて愛されるその人間力からきてると思ってたんだけど、私の語彙力では足らない。そんな簡単な言葉じゃ言い表せない。

私は今まで「誰がセンターになっても違和感のないグループ」を何より愛してたしそれが武器の人達しか知らなかったけど、Travis Japanのセンターは宮近海斗しかいない。そしてそれはそれで、誰でもセンターになれるのとは違うとんでもない武器なんだってことを知った。

だってね、宮近海斗がその場に立つだけで国が1つ動くんですよ。やばいでしょ。ね。

以上です。(語彙力)

 


と、ここまで1人約200文字程度でさらーっと、あっさーりと、それぞれの感想を書いて見たわけなのですがここからが本論となります。(え)

 


私がTravisのサマパラを見てやばい、と思ったのはもちろん個人個人の公演の良さが半端ないこともそうなんだけど、なによりそれぞそれの公演からTravis Japanをめちゃくちゃ感じたこと。

グループありきで個人個人が存在してるんだと言うことを全員が感じさせてくること。

メンバー紹介ラップしたり、絵を書いたり、共作したり、MCでメンバーにまつわるクイズやったり、メンバーのお面つけたり、曲中にメンバーから電話かかってきたり。そして、グループへの思いが曲にぎっしり詰まってたり。

この人たち、アホみたいにTravis Japanのこと大好きなんだなあって。

YouTubeの舞台裏見たら納得だったよね。自分以外の公演日には必ず1公演目の前に激励訪問してたり、ヘアセットお手伝いしてたり、終演後は号泣しながら抱きついたり。

仲良しなんてもんじゃねえじゃんそんなの…メンバーそれぞれがメンバーのこと愛しすぎなんだよな…尊…

together nowのメンバーの合成を見るたび、Travis Japanは自分がTravisに所属してることに誇りと自信を持ってるんだなってことを強く感じた。全員がこの夏のソロ公演をtogetherで締めくくるんだなと思ったらもうそんなのめっちゃ泣くじゃん。とらじゃのこと大好きかよ…私も大好きだよ…()

 


そしてもうひとつは、誰のセトリからもそれぞれの歩んできた道を感じるということ。


Travis Japanになる前の過去。

Travis Japanとしての過去、今、未来。

Travis Japanの過去と今。


全員がそれぞれの歩んできた道を愛して、尊重して、今のTravis Japanに繋がっていること。

ばらばらのいろんな道を歩んできた7人がTravis Japanというグループにそれぞれのタイミングで出会って、同じ道を歩んでいくということ。

 

サマパラ2020はTravis Japan 7人それぞれの過去と未来の交点だった。

 

7人がもっと強くなったことを多分誰もが感じたし、この夏を経験したTravis Japanはもっと強くなる。これから、また何か起こる。そう思わずには居られないそんな夏だった。

 

 10日間21公演で信じられないくらいたくさんの想いをくれた、そんな7人にこれからたくさんの想いを返せるように一緒に頑張っていたい。そして、Travis Japanがやりたいことを叶えられる世界が1日も早く帰ってくることを切に願っている。

 

この世界でどんな事があってもTravis Japanが望むエンターテインメントが、いつか訪れるであろう再開の時まで誠実な形で叶い続けて欲しい。

 

「2020年夏があったから」

また笑顔で会えたね。

そう言える日が来ることを、ずっとずっとずっと待ってる。

 

最高の夏を、ありがとう。

 

おーーーしまいっ!