推しが恋人にしたいJr.で2位になった

Myojo Jr.大賞 恋人にしたい部門

 

たかが雑誌の投票イベントに過ぎないにも関わらずJr.担を震え上がらせる単語のひとつであり、冬の風物詩ともいえるであろうMyojoのJr.大賞。

その代名詞である恋人にしたい部門で私の自担(正直該当担でさえ恋人にしたいとは思えない恋愛観の持ち主)が2位になった。

 

これを読んでくださる人はおそらくJr.大賞の概要を理解してくれているであろうから、詳細ははぶこう。

 

如恵留さん!恋人にしたいJr.2位&2年連続1位最多受賞おめでとう!

 

私は声を大にして言いたい。なぜなら如恵留担以外祝ってくれる人がいないから。

だから私は誰がなんと言おうと、この結果を誇りに思う。如恵留さんがいつも如恵留担を信じてくれているように、私も如恵留さんを信じているから。

 

正直、悔しい。

誰がなんと言おうと、なんて言わなければならないことが。

大手を振っておめでとうと言えない自分が。

2位なんて信じがたい結果を出してなお、その結果を認めてもらえないことが。

 

だけど同時に、仕方ないと思ってしまう自分もいる。

ジャニーズ「Jr.」最年長の27歳、お世辞にもJr.と名乗るには歳を食っている。

所属グループTravis Japanは結成10年目前にもかかわらず芽が出たのはここ数年の超遅咲きで、その前は後輩たちのほうが先に前に立っていたしデビューもしている。

 

「遅い」のだ。全てが。なにもかも。

Travis Japanの活躍を「今更足掻いている」と言われても私は何も言えない。

むしろそうだねー。と思う。そう、足掻いてる。

今やらなければあとがない。今じゃなければできない。過去のTravis Japanにはできなかったことを、今やろうとしている。

 

悔しい思いをしてきた。

踏みとどまって前を向いて、少しずつ変わった。

如恵留さんが変わったから、私は如恵留担になった。

もし如恵留さんが2年半前東京ドームで泣いている時のままだったら、私は川島如恵留のオタクじゃなかった。

 

「今の如恵留さんだから」出せた結果だ。

もちろんもう10年以上ジャニーズJr.なんだから、もっと前から頑張ってればもっと評価されたのにね笑という声があるのは当然だ。

でも私のように今の如恵留さんだから応援したいと思う人が、沢山いる。だから今なんだ。

 

 

Jr.大賞2022に価値がない。

その考えを、そう思う気持ちを、私は否定しようとは思わない。

でも、この結果を如恵留さんが喜んでくれた。この結果を見た如恵留さんが、「もっと如恵留担を大切にする」「もっと自分自身を大切にする」と言葉にしてくれた。

 

 

推しの笑顔が見たい。

推しに喜んで欲しい。

推しと幸せになれる。

 

誰かを、アイドルを応援する上で、それ以上に大切なことなんてあるのだろうか。

 

 

私はこのJr.大賞に価値がないなんて思わない。そこに推しの喜ぶ姿があるのなら、この2位は他の誰でもない私達如恵留担が誇るべき結果だ。

如恵留さんを好きだという思いをどうにか形に残して御本人に伝えたかったオタク達!やったね!形になったよ!やればできたよ!おめでとう!

 

 

強くいてくれる自担を、信じて歩こうと思う。

その先にどんな未来が待っていても、私は自担の歩む姿を追いかけようと思う。

だって如恵留さんがアイドルだから。

 

私に「アイドル」を応援させてくれるTravis Japan川島如恵留さんに心からの感謝と、一緒にオタクしてくれるみんなに特大のお疲れ様でした。

rolling daysに心酔して

Travis Japan、そしてTravis Japanのオタクの皆様!全国ツアー完走お疲れ様でした✨

 

というわけで遂に書きますよ。rolling days(以下ロリデ)解釈ブログ。この曲に触れずに死ぬわけにはいかないので。そりゃあもう心血削ってでも書きますよ。えぇ。

尚完全に個人の解釈なので解釈不一致に関してはご容赦ください。

 

本人達の口から「看守と囚人である」という発言があった以上、あんな崇高で高貴な看守いねーよ!と思いつつ仰せのままに認識していきたいと思います。

 

2人の関係性は(多分結構地位の高い)看守とその看守に監視、管理されている囚人。

 

イントロ前、扉が開く音と足音は看守のもの。というより、看守に歩み寄る「不実」の足音でしょうか。恐らく誰よりも誠実に気高く生きてきたであろう看守がこれから囚人と共に犯す罪が歩み寄ってくる音だと認識しました。MCのわっちゃわちゃぐっちゃぐちゃの空気が一瞬でふっと変わるあの感じ、たまらん。

そしてバックスクリーンで混ざり合う赤と黒と香りをイメージさせるような白を浴びる看守の影。恐らく看守と囚人の出逢い。Aメロ頭の歌詞「ゆらめくような香り近づく」を彷彿とさせる照明だなーーと勝手に思いました。

 

まずはAメロ。『止まらない想いで』

看守から「君=囚人」への執着、許されざる愛情。真っ直ぐな愛情。決して認められることのない罪の愛であると分かっているにも関わらず想いを止めることができない看守。

Aメロは全体的に如恵留さんの恍惚とした表情が印象的でした。囚人と対立しているという仮定も考えてみたのですが、どちらかと言うと恋焦がれているというか、頭から離れない人がいるんだろうなと思わされる表情だったんじゃないかな、と。(知らんけど)(知らんけどってつければ許されると思ってる)

 

そしてサビ。『どこまでも深い場所まで2人堕ちてゆけるなら』

看守が地位や名誉を捨ててでも囚人と共に生きたいと思う「純粋な愛情」を貫く覚悟をする。

サビが始まると同時に如恵留さんが棒で地を突くと照明が切り替わりステージが真っ赤になるのがその決意の瞬間。「優しく包み込むから」の一瞬の柔らかい表情以外は、Aメロより凛々しいというか何か野望を感じた印象でした。

 

さらにラップ。

囚人を縛り付けていた鎖は、看守からの愛情への戸惑いや迷い。囚人自身も看守を想っているが、2人を阻む弊害に縛られている囚人。

サビ終わりに如恵留さんが手を振りあげると鎖に縛られた宮近くんが現れたのでとてもびっくりしました…(小並感)

私の解釈(比較的ハピエン)では倫理観に縛られている囚人と解釈したけれど、看守の束縛の鎖でそれを断ち切って対立する2人でも楽しいですね…(誰かそういう解釈の人いませんかー?)

…っと話を戻します。

そんなこんなで「囚人もまた看守のことを愛しているが、罪を犯させたくないと思っている」ため、自分の想いに蓋をしようとしていた囚人。しかし看守が自分の想いに正直になる覚悟を決めたことを知り、囚人もまたその鎖を断ち切り共に罪を犯す覚悟を決める。長くは続かないと分かっていても泡沫の逢瀬に溺れる2人。

さあ虚妄の加速がいよいよ止まらなくなってまいりましたが果たして読んでくださっている方はついて来れているんでしょうか。

先述の通り宮近くんは鎖に縛られて登場しその鎖を断ち切るわけです。それは如恵留さんが棒をついて決意を表した時のように、宮近くんもまた決意の表れの表現だったのではないか、と思いました。その先、配信では恐らくスクリーンが映っていなかったんですが、「香りだけ漂う想いまだ彷徨う」のところは赤と白が混ざりあっているんですね…ここの2人は激しい感情というより終わりを見据えているにもかかわらず離れられない2人、というか…なんですか?(諦めないで)とにかく如恵留さんが比較的1番柔らかい表情を見せていたのはここだったような気がします。

 

「もう闇の中へ逃げよう〜」

分かっていたこととはいえ、看守と囚人の関係は本来あってはならないもの。2人の時間は長くは続かず引き離されてしまう。そんな2人はいかなる手段を使ってでも共に生きる未来を選ぶ。(ロミジュリ?)

ここからはステージが動いて1つのステージにいた2人が引き離されてしまいます。思いが通じ合い、共に生きる覚悟をしたにも関わらず引き離される2人。

と、ここで宮近くんが登場して以来着け続けていた目隠しを外します。そして一言「もう離れなくていいんですよ」…え、これを駆け落ちと言わずしてなんと言うんですか?くらいの気持ち…なんですが…(妄想です)

ただここから2人の行動や表情は険しくなっていきます。障害を乗り越えることに対して重きを置きすぎて愛がすれ違う的なあれ(どれ)を彷彿とさせる感じ…(妄想です)

 

さあ遂にラスサビ。

愛しているが故に二度と手放したくないと囚人を支配し束縛する看守。しかし自分への愛情に不安を覚えるようになってしまった囚人は、精神状態が不安定になり見境なく人を殺めようとする。(囚人になった経緯も殺人だったら尚良)

しかしこれ以上罪を犯させまいと必死に止めようとする看守の姿を見て、もうこんなすれ違いは嫌だ。生まれ変わって違う立場で、罪など犯さなくても幸せになれる世界で出会いたい。と思うようになる囚人。つまりこいつ殺して俺も死ぬ!となる囚人(もっといい表現あっただろ)

そうして囚人は看守のことを殺してしまう。殺されたにも関わらず自分への強固な愛を感じることができ、満足気な看守。

…ラスサビの解釈が1番難しかった。ただ如恵留さんも宮近くんも厳しい表情、辛そうな表情だったのが印象にあります。駆け落ちできて幸せそう!と言うよりは何かに苦しむ2人。

そしてついには看守の棒を奪い、相対してしまう2人。精神的な面でなんらかのすれ違いが対立を生んだんだろうと予測しました。事実棒の持ち主が入れ替わった後、宮近くんは何かを攻撃していたし、如恵留さんはそれを阻止しようと動いてるんですよね。それが囚人の最初の罪である殺人だったらいいな、なんて…(もはや希望)

だとしたら囚人は根本的価値観のすれ違い、愛しているのに自分の味方になってくれない看守を憎み、生まれ変わって幸せになりたい!と思うんじゃないかな、と。

…ただ如恵留さん、いつも曲終わりの去り際基本的に笑っている、というか微笑んでいる?んです。ずっとこの人なんで殺されたのに笑ってんだろ?と不思議に思っていたんですが、恐らくあの人なら好きな人に殺されるの喜ぶだろうなと思ってこのオチにしました。(最後の最後まで本当に申し訳ありませんでした)

 

純粋な愛ゆえの狂気。

これがのえちかロリデの本質だと思います。innocent(純粋、無実)というブロックにロリデを持ってくることに対して少なからず疑問がありました。

え、だってどう考えても罪の歌だし。少なくとも無実じゃ絶対ないし。なんなら歌中で罪認めてるし。

でも「純粋で無垢な真実を」というその言葉から推察される通り、法律的には、倫理的には不実とされている関係でも、当人達にとっては純粋であり無垢な感情に他ならない。まっすぐな愛情なんだと。人それぞれの純粋さなんだと。

それをロリデで表現しようとする川島如恵留さん。恐れ入りました。

 

以上が私のrolling daysの解釈です。虚妄の領域、超えてませんか?大丈夫ですか?大丈夫じゃなかったら…そっと殴ってください。

 

ここから先は私がいかにrolling daysという曲を愛し、如恵留さんと宮近くんがこの曲をやってくれたことに対しての喜び、感謝をしたかと言う話を書き残しておこうと思います。

 

ちゃかぱら後の雑誌のインタビューで宮近くんが「看守と囚人の演出は如恵留となにかやるならって考えてた演出」と発言し、全私が震えました。まてまて。いやまてまて。まて。

 

見たい。

 

いやでもなーちゃかぱらでロリデやってたし。もうやることはないだろうなー。

 

やったわ。

 

本家櫻井翔さんのロリデは圧倒的支配力の象徴でした。帝王の異名をもつ彼はリズム隊を従え、低い声と重圧感のあるスネアドラムで完璧なrolling daysを作りました。それはもう、櫻井翔にしかできないパフォーマンスだったと今でも思います。

 

だからこそ、如恵留さんがロリデをやる印象がなかった。透き通る高音が基本の如恵留さんには、ロリデは合わない(なんて真っ直ぐな表現)と思っていたからです。

 

違った。

 

アプローチの方向性が根本的に違いました。翔さんが「支配」や「統べる」ことに対して重きを置いていると表現するならば、如恵留さんは「愛への従属」。自身の意思と反している愛情に逆らうことができず縛り付けられる者。

 

衝撃でした。

同じ曲なのにパフォーマンスへの解釈が全く違う。翔さんのそれとも、ちゃかぱらのそれとも異なる「川島如恵留のrolling days」がそこに確かに存在したのです。ここまで本家と違う表現をしてくると思わなかった。

 

私がrolling days以上に思い入れのある曲はこの世に片手で数えられるくらいしかないので、この先恐らく一生、川島如恵留のrolling daysは私の人生の1ページとして描かれることと思います。

嬉しかった。私の愛する曲を、私の愛する如恵留さんが、私の考え付かなかった解釈でパフォーマンスしてくれたことが。

 

ありがとう。貴方は私の生きる希望だ。

 

といい感じで(?)この虚妄ブログの締めとさせていただきたいと思います。

 

最後に。

如恵留さんの解釈が聞きたいのでのえまる是非お待ちしております。

 

以上。

ご一読頂きありがとうございました🐈

拝啓 嵐の櫻井翔さんを愛した私へ。

これは私から嵐の櫻井翔さんへの最後の誠意です。

13年間、ありがとうございました。

 

 

担降りとは何か。

 

ずっと考えてきました。

今回は私が見つけた私なりの結論を書き、過去の思い出として俗に言う「担降りブログ」を残しておこうと思います。

 

 

担降り

ジャニーズファンによる造語で、そのアイドルのファン(担当)であることをやめる(降りる)という意味で用いられている語。

(weblioより引用)

 

、、、いやざっくりーーーー!そんなんでわかるかーーーーーー!

 

でも、「本当のファン」の定義が存在しない以上、担降りについても定義は各々の判断なのだと思います。だって言葉を定義するのに使う単語に定義がなかったら、その単語は定義できないもん。しょうがないよね。(諦)

 

そもそもアイドルと言う存在が言葉では言い表せない「虚像」である以上、担降りも同様にふわふわしたものになるんだと思います。(そんな虚像に人生かけるような人間そう多くねぇよってことなのかな。ぴえん。)

 

そんな「ふわふわした定義」に甘えて私は「大して気持ちも残ってないしFCも1桁名義しか更新しないけど、2020年末までは絶対に担降りしない」と言い張ってきました(なんて自分勝手な奴)(オタクなんてみんな自分勝手だろという開き直り)

 

 

そんな私が、どうして担降りブログを書いているのでしょうか。

 

担降りしたよってブログを書いてますが、私は今でも私は翔くんのことが大好きです。

大好きなんて言葉じゃ言い表せないと思います。

 

櫻井翔は人生の師であり、私が最も尊敬する人間です。

今もその思いに変わりはありません。

 

 

ただ、応援できないんです。アイドル櫻井翔が歩む道を、応援できない。

 

 

前までの私だったら、嵐がどんなことをはじめても(若干の違和感を抱いていようと)応援してきました。

YouTubeSNS、サブスク解禁など、彼らが世界に羽ばたくのを寂しく思いつつも、それらが嵐の、彼の選ぶ道ならと甘んじて受け入れてきました。

 

それがたとえ活動休止という選択であろうと、私はいつだって彼らの意思を尊重し彼らが選んだ道を応援してきました。

 

 

そんな私が、徐々に嵐のやること全てに疑問を感じるようになっていき、挙げ句の果てには疑念を抱くのが辛くて嵐を見ることができなくなりました。

 

 

応援できない以上、嵐をどんなに愛していても嵐についていくことはできない。

 

 

そう思ったからこその「担降り」という選択でした。

 

 

、、、ここで振り出しに戻ります。

そもそも担降りとはなんなのでしょう。

 

 

私が思う私の担降りは「伝えたい言葉がなくなること」でした。

 

 

伝える先は自担への直接的なメッセージだったり、オタク友達への愚痴だったり、あるいは嵐に一切興味がない人間に対しての惚気だったかもしれません。

 

 

とにかくありとあらゆる「嵐への言葉」が発せなくなりました。

 

 

俗にはその状態を「無関心」とも表記しますが、私の場合は「嵐が関わるコンテンツ自体には興味があるけど、それらを見てもなんとも思わない」状態だったので敢えて無関心とは区別した表記を選んでみました。てへ。

 

 

さあ1000字の時を経て、私の考える担降りの概要が見えてきました。

ここでは1000字にまとめていますが、この結論を出すのに実に1年の月日を要しました。1000字にまとめただけでも褒めて欲しい。

 

、、、なんて話は置いておいて。

 

つまり。わたしは嵐が大好きなのにも関わらず、嵐の発信するコンテンツに対して何の感情も抱けなくなってしまったのです。

 

いっそ嫌いになれたらよかった。

 

なんて。今でこそ思わないけど、嫌いになれたら良かったと思っていた時期があるほど、わたしは追い込まれていました。

 

大好きな嵐は確かにそこにいるのに、歪んだ視点でしか見れない自分。

大好きな嵐は確かにそこにいるのに、面白いともつまらないとも思えない自分。

 

怖かった。

自分の中で何かが壊れていくようで、今まで信じてきたものを全て失うようで、怖かった。

 

嵐に対して感情を抱けない自分が怖くて、わたしは次第に嵐から目を背けるようになりました。

 

そんなとき。わたしはとあるJrに出会いました。そうです。言うまでもない。Travis Japan川島如恵留さんです。(言うんかい)

 

わたしは如恵留さんに、まさに急転直下、光芒一閃、猪突猛進、電光石火、、、

とにかくとんっでもない勢いで沼りました。なんだったんだ、私の担降り出来ずに悩んでた時間。

 

恋を忘れるには新しい恋だと言ったのは誰だったっけ。まさにその通りですね。

 

なんと!わたしは翔さんを大好きなまま、降りることに成功しました。

 

翔さんを降りると決めたのは、如恵留さんが私の手を引いてくれたからです。決して翔さんの代打とか替え玉とか補充とか、そういうんじゃない。

私に「伝えたい想い」を与えてくれた人。

プラスもマイナスも全部抱きしめて応援したいと思える人。そんな人、如恵留さんに出会えたから、わたしは翔さんからの担降りを決めました。

 

と同時に。

皮肉なことに「翔さんを、嵐を、応援すること」を完全に諦めた瞬間、わたしは再び翔さんや嵐を愛おしいと思えるようになりました。

今でも理由は分かりません。

ただ、毎日毎週じゃなくても、嵐を見かけたら「ああこの人たちが好きだな」と思えるようになりました。

 

彼らの作る空気、パフォーマンス、そして笑顔。全てが愛おしかった。

 

もしかしたら再び嵐を愛おしいと思えるようになった、ということはある意味残酷な事だったのかもしれません。

 

結局2020年最後の瞬間までわたしは嵐を愛し、彼らがいない未来に絶望したのですから。

 

それでも、今でも嵐とすごした最期の2年間に寸分の後悔もありません。

 

嵐から離れるという選択、

嵐を諦めるという選択、

嵐を愛すという選択。

 

楽しかったーーーーー!!!!!!!

本当に、心の底から楽しかった。

 

辛いことや苦しいことも沢山死ぬほどめちゃくちゃあったけど、それでも全部楽しかった

こんな、ブログなんかに書ききれる思いじゃない。

 

嵐と過ごした時間は、翔さんと過ごした時間は、宝物。

 

嵐の櫻井翔さんが与えてくれた言葉に、想いに、時間に、心から感謝します。

嵐の櫻井翔さんを愛する私を愛してくれた、これをここまで読んでくれている貴方に、心から感謝します。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

また、どこかで。

私とTravis Japanの2020年夏

Travis Japanと過ごす8月。

そんな言葉がぴったりだったんじゃないかなあ

なんて思っちゃうね。

 

アリーナ以上のコンサートが中止になって配信に切り替わって。夏が来ないねなんて寂しがってたのは7月の頭の話だったかなあ。

そんな絶望の夏を今までで1番忙しい夏にしてくれたのは他でもないジャニーズJr.で。Travis Japanで。

 


Summer Paradise 2020

俺担ヨシヨシ自担推し推し 緊急特別魂

 


Travis Japanソロ21公演

 


簡単に思い出と感じたことをメモに残して置こうとおもいます。

 


8/1 川島如恵留

トップバッターって言われときYouTubeかと思った笑(本人談)のその言葉に、のえ担は大きく首を縦にふりましたが。

まさにトップバッターを飾るのに相応しい、なんて烏滸がましいけれど。贔屓目なしでサマパラ2020の初演は、川島如恵留以外に考えられないと思う。

「お手本みたいな」という言葉が褒め言葉になるのか分からないけれど、お手本みたいな公演だった。

如恵留くんの脳内を言語化するとのえまるで、行動化するとのえぱらになるんだろうなあ。

「ジャニーズ」というある種のブランドに誰より憧れと尊敬とプライドを持ち、そのブランド名に恥じないだけの経験を積んできた如恵留くんだからこそ組めたセトリ。

自分の夢と憧れ、今と過去、知識と経験、愛。そのひとつひとつを1時間半のパフォーマンスで全部表現してくるとは。恐ろしい人だとシンプルにひいた(褒めてる)

 


8/2 中村海人

天才。

何が、とかじゃない。中村海人は天才。

まず選曲が神。今の自分にどんな曲があっているのか、それをどう構成したらいいのか、Jr.の中で1番分かってるのは海くんなんだと改めて感じた。親バカかなあ。

そして選んだ曲をどう魅せるのか。

どんなに選曲が良くてもそれを殺すパフォーマンスなんていくらでもある。配信だから出来ること、配信じゃなきゃできないこと。それを、海くんがひとりでやるということ。ああこの人は演出の引き出しが沢山あって今の自分がやるのに相応しいものを選ぶのが上手いんだなあ、なんて。

何より約1ヶ月間連ドラの撮影とソロ公演の準備を同時にこなして連ドラアップ直後にサマパラ3公演やるなんて並大抵のことじゃない。

海くんまじで努力の人なのね。恐れ入りました。

 


8/4 松田元太

1公演目1曲目開口1番アカペラanniversaryでああ、元太だ。と思った。元太Worldってこういうことか、と。

普段明るくておバカな元太の静と動を両方感じられる1時間半。静多めだから新鮮だったんだけど、本人がディナーショーみたいな大人っぽいコンサートを目指したってインタビューで語ってたのを見てふっと納得した。

自分で意見を出したり案をもってくることを普段あまりやらない受け身なタイプと言っていた元太だけど、表現したいことはしっかりあってそのために周りを頼れるところがすごく元太らしい。

恐ろしいほどの表現力と、真っ直ぐな愛。

どこまでも真っ直ぐな元太はいつまでもそのままで、などと思った1日だった。

 


8/5 七五三掛龍也

スィートがテーマだって言ってたしめちゃんらしい、めちゃくちゃスィートなサマパラだった。

ただ甘ったるいんじゃなくて所々にアクセントを持ってきててずっとお肉とお魚とデザートが交互にでてくる、みたいな…(何の話ですか)

自分がどうしたら可愛くてどうしたらかっこいいのかの把握力が半端じゃない。

しめちゃんはメンバーのヘアセットしてる時にも思ったけどどうしたらその人が1番輝いて見えるのか、をTravis Japanで1番把握しているんだと思う。自己プロデュース他己プロデュース共に長けてるその技量を存分に発揮した夏だったね。

ファンどころか相葉くんにまでにヨシヨシさせるの、多分しめちゃんしか出来ないと思う。

可愛がられる、という観点において天性の何かをもってるしめちゃん、まじでいつまでも姫でいてくれ。

 


8/7 吉澤閑也

CARNIVAL night part2でカーニバルを持ってきた時点でああこの人はやべぇわ、と白目を剥きました(褒めてる)

しずパラはひたすら閑也の優しさが詰まった1時間半。リア恋拗らせて来たかと思ったらしめちゃんに盗られてフラれるし。あれ、私たち閑也の手のひらで転がされてる!?ということに気づいた頃にはもうtogether nowでした。

なんでも優しく受け止めてくれる、のその言葉通り。しずパラ、見ると温かく抱きしめてもらえるんだよね。

インタビューで毎日2.3時間しか寝れなかったって言ってたけどまじでひと夏全部サマパラのために生きてたんだろうなあって思ったらちょっと泣いた。入所したばっかの子達にまで温かく優しく見守る閑也をみて私がJrだったら閑也のバックにつきたいなあと思いました。

 


8/8 松倉海斗

あの日からぴったり1年後のその日のコンサートを託された松倉くんがどんなことをやるのかな、と多分誰もが思ってた。

ら。

ローラーかよ!?やりたかったんだね…可愛いね…1年越しに叶って良かったね…(違)

松倉海斗の描く世界ってちょっと理解に苦しむ時が多くて難しいから大丈夫かなあーと思ってたんだけど。

いやはや楽しかった。

なんだろうね、それぞれのブロックでやってることはバラバラなんだけど1本のストーリーの中でのメッセージはずっと変わらないからとっちらかってる訳じゃなくて。

辛い思い出の日を塗り変えるんじゃなくて、楽しい思い出の日に更新したいってその言葉がどれだけ沢山の人を救ったんだろうなあ。

一緒に素敵な景色を見続けたい、絶対デビューしようねってその言葉を叶えるために一緒に頑張りたいなあって、改めて決意できた日でした。あまりにも感化されて翌日ローラーしに行きました難しかったです。

 


8/10 宮近海斗

rolling days以外記憶にありません。嘘です。

いや正直まじで1時間半×3ひたすらちゃかめろー♡しか言えなかった。

この人がTravis Japanのセンターでリーダーなんだって誰もが改めて感じたと思う。半端じゃない。やばい。

宮近くんの強さは天性の見る人全ての目を奪うパフォーマンス力と、人を信じて愛して信じられて愛されるその人間力からきてると思ってたんだけど、私の語彙力では足らない。そんな簡単な言葉じゃ言い表せない。

私は今まで「誰がセンターになっても違和感のないグループ」を何より愛してたしそれが武器の人達しか知らなかったけど、Travis Japanのセンターは宮近海斗しかいない。そしてそれはそれで、誰でもセンターになれるのとは違うとんでもない武器なんだってことを知った。

だってね、宮近海斗がその場に立つだけで国が1つ動くんですよ。やばいでしょ。ね。

以上です。(語彙力)

 


と、ここまで1人約200文字程度でさらーっと、あっさーりと、それぞれの感想を書いて見たわけなのですがここからが本論となります。(え)

 


私がTravisのサマパラを見てやばい、と思ったのはもちろん個人個人の公演の良さが半端ないこともそうなんだけど、なによりそれぞそれの公演からTravis Japanをめちゃくちゃ感じたこと。

グループありきで個人個人が存在してるんだと言うことを全員が感じさせてくること。

メンバー紹介ラップしたり、絵を書いたり、共作したり、MCでメンバーにまつわるクイズやったり、メンバーのお面つけたり、曲中にメンバーから電話かかってきたり。そして、グループへの思いが曲にぎっしり詰まってたり。

この人たち、アホみたいにTravis Japanのこと大好きなんだなあって。

YouTubeの舞台裏見たら納得だったよね。自分以外の公演日には必ず1公演目の前に激励訪問してたり、ヘアセットお手伝いしてたり、終演後は号泣しながら抱きついたり。

仲良しなんてもんじゃねえじゃんそんなの…メンバーそれぞれがメンバーのこと愛しすぎなんだよな…尊…

together nowのメンバーの合成を見るたび、Travis Japanは自分がTravisに所属してることに誇りと自信を持ってるんだなってことを強く感じた。全員がこの夏のソロ公演をtogetherで締めくくるんだなと思ったらもうそんなのめっちゃ泣くじゃん。とらじゃのこと大好きかよ…私も大好きだよ…()

 


そしてもうひとつは、誰のセトリからもそれぞれの歩んできた道を感じるということ。


Travis Japanになる前の過去。

Travis Japanとしての過去、今、未来。

Travis Japanの過去と今。


全員がそれぞれの歩んできた道を愛して、尊重して、今のTravis Japanに繋がっていること。

ばらばらのいろんな道を歩んできた7人がTravis Japanというグループにそれぞれのタイミングで出会って、同じ道を歩んでいくということ。

 

サマパラ2020はTravis Japan 7人それぞれの過去と未来の交点だった。

 

7人がもっと強くなったことを多分誰もが感じたし、この夏を経験したTravis Japanはもっと強くなる。これから、また何か起こる。そう思わずには居られないそんな夏だった。

 

 10日間21公演で信じられないくらいたくさんの想いをくれた、そんな7人にこれからたくさんの想いを返せるように一緒に頑張っていたい。そして、Travis Japanがやりたいことを叶えられる世界が1日も早く帰ってくることを切に願っている。

 

この世界でどんな事があってもTravis Japanが望むエンターテインメントが、いつか訪れるであろう再開の時まで誠実な形で叶い続けて欲しい。

 

「2020年夏があったから」

また笑顔で会えたね。

そう言える日が来ることを、ずっとずっとずっと待ってる。

 

最高の夏を、ありがとう。

 

おーーーしまいっ!